華五題


5. 縷々と想いを説く唇に





 東の空が白み始めた頃。
 ふと意識が浮上して、司はぱちりと目を覚ました。
 起床するにはまだ早すぎる時間帯だ。
 普段はこんな時間に起きることなどないのに、今朝はやけに目が冴えていた。
 司はもぞもぞとベッドから這い出そうとして……逞しい腕に腰を絡め取られた。
「……」
 身動きが出来ず目だけで無言の抗議を送ってみるが、眠る相手に通用するはずがない。
 目覚めると半裸の男が目と鼻の先で寝息を立てていることに、始めのうちは羞恥が先に立って同時に拳を繰り出していたものだ。
 さすがの司でも、こう何度も夜一緒に寝るようになると(文字通りただ寝るだけだが)少しの照れはあるものの問答無用で竜二をタコ殴りにしたりはしない。
 ふう、と一つ息を吐いて諦めにも似た境地で大人しく竜二の腕の中に収まった。
 少々窮屈ではあったが、すべすべしたシーツと暖かい人肌は正直なところ離れがたい感触ではある。


 司は再び眠る気にもなれず、さりとて竜二の腕の中から抜け出す気にもなれず、手持ち無沙汰な、しかし思わず頬を緩ませてしまいそうな  穏やかな時間を竜二の寝顔観察に充てることにした。
 相変わらず、竜二は寝息を立てている。
 気配に聡いこの男は、普段なら物音一つで目を覚ますくせに、司の気配にはまったくもって無頓着だった。
 その腑抜けきった顔を、自分だけが知り得ていることがうれしいと素直に思う。
 九竜組組長という鉛よりも重い肩書きを常に背負い続けている竜二が、年相応に無邪気な寝顔を無警戒に晒すなどということは本来有り得ない。
 それが感覚的にわかっているからなおのこと司は笑みを深めた。


(長い睫毛だな)
 竜二の顔を至近距離で観察しながらそんなとりとめのないことを考えていた。
 あまりに穏やかな寝顔だったから、思わずその頬に触れてしまったのは意図してのことではない。
 そのまま髪の間に指を滑り込ませ、いつも自分がされているように竜二の髪の毛を梳いた。


 突然、何の前触れもなく竜二の瞼が持ち上がった。
 司の心臓が跳ねる。
「お、はよう」
 少々どもりながらではあったが、なんとか挨拶をする。
 竜二は二、三度瞬きを繰り返したあと、その切れ長の目をすうっと細めた。


 ぎくり、とした。


 なぜだかわからない。だがなんとなく居心地が悪い。
 司は微妙に肩を強張らせながら、おそるおそる竜二の眼を覗き込んだ。
 ふと、竜二がささやくように少しかすれた声を洩らした。
「あんまり挑発してくれるなよ」
 柔らかい吸い付くような肌とその上目遣いだけですでに竜二にはクリーンヒットだというのに、少し目を転じるとシャツの間からは豊かな胸の谷間まで見えてしまう。
 たとえ今が寝起きだろうと、朝だろうと、悲しいかな男の性とはそんなものだ。


 しかしいくら男として生活していようとも女の司には竜二の苦悩がわからないらしい。
 自分には理解不能の言葉をぼそりとつぶやいてからは黙り込んでしまった竜二に少々じれた司は、竜二の顔をぐいっと近づけて視線を合わせた。
「おいこら。なにを拗ねてるんだ」
 理性を総動員して耐え忍ぶ様子を、この一言で片付けられてはさすがの竜二も浮かばれない。


 竜二はじっと司を見つめて言った。
「わからないのか?」
「何をだよ」
 竜二は不満げな司の頬に手を触れながら、自然な動きで身体の位置をかえた。
 組み敷かれる体勢になった司はほんの一瞬うろたえたように視線を泳がせた。
 そんな司に竜二が苦笑とも微笑ともとれる笑いを洩らす。
「心配せずとも、俺はどんなこともお前に無理強いしたりしない」
 今すでにこの格好は無理強いではないのか、との司の内心の叫びは声にはならなかった。
 次の瞬間には、額に、瞼に、頬に、柔らかな唇が降ってきたから。
 そうしてキスの雨を降らせながらも、竜二の口は言葉を紡ぐ。
「お前はこういうことを本能的に避けるくせに、時々俺の理性をひどく揺さぶる」
 低く淡々と紡がれる言葉は、しかしどこか熱い。
「なんの含みもなく触れるこの手も」
 言いながら、司の右手に口付ける。
「たまに上目遣いで見つめてくるこの眼も」
 そうして司の身体のいたるところに吸い付いては離れる。
 最後に竜二は司の下唇を指でなぞった。

 司は完全に硬直していた。
 一体目の前にいるこの男は誰なんだ!?
 司の身体の上で、司に口付けを落としながら、聞いたこともないような甘い囁きを繰り返すこの男は。
 普段は間違っても雄弁とは言いがたいあの竜二か。
 無理強いはしないと言いつつ、司を押さえつけるのはやめようとしない。
 息苦しい。それなのに、触れる肌や囁かれる言葉のどれもが信じられないくらいに甘くて、頭の芯がくらくらした。


「り……りゅうじ……!」
 ひどくかすれた声で、それでもなんとか絞り出した叫びで司はやっとのことで自らの理性をつなぎとめた。
「何だ?」
 対する竜二の返事は驚くほどそっけなく、さきほどまでの言葉は幻聴だったのかと思わず確認しそうになった。
「さっきから、な、なにを言ってるんだ」
「もちろん、お前を口説いてる」
 さらりと言われて絶句した。
 が、ここで黙ってしまうとなんだか恐ろしいことになりそうな気がして司は必至にまくしたてた。
「お前、寝ぼけてるだろう? か、かなり言動がおかしいぞ」
 せいぜいしかめっつらしく言ってやるつもりが、自分でも分かるくらいに声が震えてしまったのが悔しい。
 竜二もそれがわかったのか、ふっと何か含みのある笑みを浮かべた。
 そして言う。
「なら、その口で塞いでみたらどうだ?」
 一瞬の間。
 しかしみるみるうちに頬を赤らめた司が、ぱくぱくと鯉のように口を開閉させるのを竜二はおもしろそうに眺めていた。
「塞がないのか? それはもっと言葉を聞きたいということか?」
 次々と投げかけられる言葉が竜二のものだとは信じられない司は、しかしやっとのことで口を開いた。
「お前、ほんとに竜二か……?」
 別に本当に疑っているわけではないが、あまりに普段の竜二と異なる様子に、司の口から思わず本音が飛び出した。
 これに竜二は目を見開いて束の間黙り込み、しかしまた不敵な笑みを浮かべてのたまった。
「忘れているようだが、俺も男だ。言っとくが、人並みに好きな女を可愛がりたい気持ちはあるぞ?」
『人並みに』というところに大いなる疑問を抱いた司だが、そこは賢明にも沈黙を守った。何より、言われた内容が司にとっては非常にむずがゆい。
 竜二は続ける。
「で?」
「は?」
 いきなりの疑問形に、司が間抜けな問い返しをする。
「キス」
 端的過ぎる答えは、しかし司にも十分に意味が伝わった。
 司の口で竜二のそれを塞いでみたらという提案はいまだに有効であるらしい。
「…………お前、絶対遊んでるだろう!」
 照れ隠しか、居たたまれなさか、司は赤い顔を背けて叫んだ。
「お前から求めてくれるなら、俺はおそらく他に何も望まない」
 何気ない言葉に、司がはっと顔を上げる。
 どこか切なく、何かを耐えるような、しかしどこまでも甘い甘い呟きだった。


――それが何のスイッチだったのか。
 当の司にもそれはわからない。
 ただ身体が動いた。
 それはきっと、司もそうしたいと望んでいた行動。
 両手が竜二の頬を包む。
 驚いたように目を見開いた竜二の顔を見てほんの少し溜飲を下げたことは秘密にしておく。


 にっこりと微笑み、司は竜二の顔を引き寄せた。





珍しく思わせぶりに終わってみたり。
竜二、司を誑し込んでます(笑)こんなのりうぢじゃない!っていうのを書いてみたかっただけです…

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