攻め気味な20のお題





 目覚めたときに感じる、自分以外の温かい体温。
 聖妻になるためだけに生きていたときにはまったく想像すらできなかった。
 怖くなるほど満たされた、こんな時間を。




20. 「敵わねぇだろ、俺には。」





 動かない、右腕。
 響く、銃声。
 倒れたのは、なにを犠牲にしても守りたかった人――。


 +++++



 ごく自然に瞼が開き、すっきりと目覚める朝は気持ちがいい。
 窓の外はまだ薄暗いけれど、すこし待っていれば空も白みはじめてくるはずだ。
 朝来は自分を抱き枕にして眠る宗像を、寝ころんだままじっと見上げた。
「…………」
 口を開かないこの男は観賞用としては悪くない。
 鋭い眼光が感じられないせいか、精悍な顔立ちにはどこか穏やかな色が見られてなんだかほっとする。
 そうして朝来は少しだけ身じろぎした。
 できれば一度ベッドから降りたいのだが、いかんせん逞しい腕がウエストに絡みついていてほどけそうにない。
 これ以上無理に動くとこの男は目を覚ましてしまうだろう。朝来はわずかに眉をしかめたあと、諦めるように息をついて大人しくその身を横たえた。


 朝来は早朝の妙に冴えた頭で目覚める直前に見ていた夢をおぼろげに反芻していた。
 竜二が撃たれる夢は久しぶりだった。
 宗像と付き合うようになってからも、ときどき戒めのようにその悪夢は朝来を苦しめた。
 そのたびに、宗像は無言で抱き締めてくれる。
 一度も、その悪夢について言ったことはないはずなのに。
 その隙の無さに悔しい思いをしたのは一度や二度ではない。
 もちろん、それ以上に癒されていたことも自覚している。

 毎回見る同じ夢。
 それは、後悔してもしきれない過去の追体験。
 けれど、今朝のそれは何だかいつもと違っていて――。

 ふと、悪夢を見たにも関わらず自身の心が穏やかに凪いでいることに気がついた。
 
 ――過去の追体験は、もう朝来を苦しめる悪夢ではなくなっていた。


 +++


 
「おはよう」
 宗像が目を覚ますと、軽やかな声が耳をくすぐった。
「ああ、お早う。どうした、ずいぶん早いな?」
 朝来の腰をぐいっと引き寄せながら、額同士を当てるようにしてその顔を覗き込む。
 いつもなら照れて嫌がる仕草を見せる(もちろん、本気で嫌がっているはずはない)朝来が、珍しく真っ直ぐに視線を合わせてきた。
「……機嫌がいいな」
「まるで毎朝私の機嫌がよくないみたいな言い方ね」
 怒っているというよりは拗ねたような言い方だ。
 合わせていた視線をぷいっと横に逸らした朝来の頬はほんのりと桃色に染まっている。
 宗像はたまらず腕に力を込めて朝来を抱き締めた。
「……朝からそういう顔をするなってのに」
 宗像が唸るように呟く。
 が、そんな男の気も知らぬ朝来は、あっさりとその台詞を聞き流した。
 そして抱きつぶされそうになっているところから、なんとか脱出する。
 拳三つほどの距離をあけて宗像と向かい合った朝来は、唐突ににっこりと微笑んだ。
「―――」
 宗像は無言で目を見開いた。
 何か、間違いなくきらきらしたものが朝来から出ているような気がするのは決して気のせいではあるまい。
 邪気の欠片もないような笑顔で、無意識に寝起きの男の理性を試す朝来に宗像が内心で呻いたことを彼女は知らない。


「で、何かいいことでもあったのか」
 あまりに機嫌が良さそうなので、色々と気を紛らわす意味も含めて宗像が腕の中の少女に問う。
 訊かれて、少し逡巡したあと、朝来はゆっくりと答えた。
「夢を、見たの」
「ん?」
「何度もね、見てるんだけど。今朝のは、何かいつもと違ってたのよ」
「………」
 何度も見る同じ夢。そう聞いて、宗像はわずかに眉を寄せた。
 そんな男の表情を読み取り、朝来は「やっぱり」と思う。
 あの悪夢の存在を、宗像は察している。きっと、ずいぶん前から。
 夢を見るたびに過去の自分に苦しむ朝来を、ただ見守るだけというのは想像以上に大変だったのでは、と今になって朝来は思い当たった。
(信じてくれてた、と好意的に解釈していいわよね)
 何となく、頬が緩んだ。


「朝から、こんなところに皺を作らないでよ」
 言いながら、宗像の眉間を指でぐいぐいと押してやった。
 そして文句を返される前に、言葉を継ぐ。
「たぶん――認めるのはものすごく癪だけど、あんたのおかげだと思う」
「は?」
「ふふ。良い夢が見られたってことよ」
 怪訝な顔をする宗像に、それだけ言って朝来は勢いよく上体を起こした。
 悪夢だったものを見ても、心はもう乱れない。
 それは、過去の自分を自分で認めてあげられたからだ。
 ずっと、心のどこかにつっかえのようにあったそれを、けれど目の前の男だけは最初から肯定してくれていたに違いない。
 何も訊かない優しさも、抱き締めて落ち着かせようとするその行為も、ただただ朝来を守るためのもの。
 

 ――敵わないわ。


 絶対に、それはもうなんと言われようとも口に出して認めたりは決してしないけれども。
 自分の中に大きすぎる居場所を占めてしまった男の存在を、朝来は眩しいもののように見つめた。


 宗像はといえば、何だか独り納得してすこぶる機嫌の良い朝来に呆れたような視線を送っていた。
 どうやら、なにか心のしこりが取れたらしい。
 まあ、何となく想像はつくが、朝来の苦しみがなくなるのは大変に喜ばしいことである。
 しかしである。
 先ほどから実に機嫌よく、きらきらしたオーラをまき散らされているこちらの身にもなれと少し思う。
 宗像としては、昨夜無理をさせたという意識がほんのちょっぴりあるので、イロイロと見て見ぬふりをしているのだ。
 朝来の照れたような横顔だとか、まっすぐ見つめてくる眼差しだとか、ふんわりとした微笑みだとか……。
 思い出して、がしがしと頭をかきむしりたい衝動に駆られる。
(まったく、どうしてくれようか、この娘は)
 だいたい、アレだ。
 こちらがいくら自制しようとしたところで、結局はコイツの言動ひとつで何もかももろく崩れ去るのだ。
 
 己の砂の理性をすっかり相手のせいにしたところで、宗像はベッドから降りようとしている朝来をひょいっと引き倒した。
「うきゃぁ」
 可愛らしい悲鳴とともに、華奢なその身体の上にずしりと覆いかぶさる影。
 朝来をじっと見据えるその目の奥に、紛れもない欲望を見つけた朝来は「うっ」と思わず目を逸らした。
 ふっと笑われたような気がしたが、確かめる勇気はない。
 と、そこへ。
「……良い夢が見られてよかったな」
 唐突に言葉が降ってきた。
「え、っと。うん、まあ、そうね……?」
 宗像の迫力に押し負けた朝来が、なぜか疑問形で答える。
「よかったな。これからは毎朝良い夢がみられるぞ」
 そう言いながら口角を上げる宗像は、もはや獲物をとらえた肉食獣そのもの。
 思わず悲鳴を上げそうになった朝来だが、開けた唇は塞がれ、代わりにくぐもった声がしただけだった。
(ま、毎朝って、いったいどういう意味よ〜〜〜!)
 なんていう朝来の叫びは、当然のごとく呑み込まれる。


 宗像を無意識に煽っていることにまったく気がつかない朝来は、こうして毎度溺れるような時間を過ごす。
 息も絶え絶えな朝来に、さらに宗像が煽られていることにはさらに気付かない。
 
 さて、本当に溺れているのはいったいどちらか――。


(ほんとに、この男には敵わない)
(まったく、コイツには参る)
 二人同時にそんなことを思ったことを互いが知ることはない。
   



 ― Fin.―


や、やっと終わりましたよ!! 長かった(泣)
最後までお付き合いいただいた方には、心からの御礼を! ありがとうございました。
バカップルには生温かい目を!


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