微睡

『レディ・ガンナーの冒険』の後日談。恋愛未満のダムキャサです。



 ポカポカとして気持ちのよい昼下がりだった。
 王都ヴィレンの東に位置する都市ドルメックの屋敷まで馬車を走らせたキャサリンは、お世話になった用心棒四人を丁重にもてなし、 相応の報酬を払って一息ついたところだった。


 ヴィルドナまでの旅程は思えば大変な目に遭ってばかりだった。
 荒野では匪賊に襲われ、泊まったホテルではアナザーレイスに寝込みを襲われ、ルワナ・ホテルでも命の危険に晒されたばかりか、警官隊にまで追われる はめになり挙句の果てにはホテルの五階から大ジャンプをするという大技まで成し遂げた(実際にやったのはダムーだが)。  そして必死の思いでマクシミリアン公爵の元へ辿り着いたのも束の間、その公爵自身が今回の騒動のすべての黒幕だったのである。
 公爵への始末は大舞踏大会できっちりつけてやったが、さすがのキャサリンもここへきて疲れを感じ始めていた。
 やるべきことはすべて終えたという安堵からか、それともウィンスロウ家の屋敷にいるという気の緩みからか、散歩をしようと庭に出たキャサリンは  木漏れ日の差す木の下で休息をとっていたが、突然抗いきれない眠気に襲われ、木の幹に背を預けたまま目を閉じた。


 まどろみに身をゆだねながらも、キャサリンは今回の冒険を鮮明に思い返していた。
 初めて出会ったアナザーレイスと呼ばれる人たちは――中には礼儀知らずで正義の欠片もない愚か者もいたけれど――総じて強く、気高く、また優しかった。
(そう、散々な目にも遭ったけれど、悪いことばかりでもなかったわ。)
 夢現に、キャサリンは思う。
 マクシミリアン公爵の所業に対しては思い出すだけで憤りを感じるが、彼の息子でありキャサリンの幼なじみのフランツとメリッサの二人が一緒になれたのは本当に良かった。
 ヘンリーさんにも、(もちろん形態変化をしていないときに)もう一度お会いしたいし、あれほど敵視していたアンジェラとも次に会うことがあれば仲良くなれるような気がした。
 そして何より、とても素敵な用心棒たちに出会うことが出来たのだ。
 彼らはとても風変わりではあったが、キャサリンにとっては命の恩人であり何より愛すべき人たちだった。
 インシードなのに切られた腕がくっついたり飛べたりするベラフォードや、頭部だけ形態変化するケイティ、それに四人の中で唯一純血種であるヴィンセントが竜になったときは驚いたが、それ以上に興奮した。
(だって、ヴィンセントさんの背中から見たあの光景ときたら……!!)
 眠りながら、キャサリンはぶるっと身体を震わせた。
 竜の背に乗って空を飛んだなどと誰かに言ったら正気を疑われそうだが、あの解放感、あの高揚感は紛れもない現実だった。
 キャサリンが空を飛んだのは何もその一回だけではない。
 そう、忘れもしない。
 魂が揺さぶられるほどに美しく、すべての生き物の上に君臨するかのような圧倒的な存在感をもつ、あの白い獣。
 あんなにきれいで心奪われる生き物がいるなんて信じられなかった。
 その生き物が実は、形態変化を解けば大の爬虫類嫌いでドアノブ一つに尻込みするような若者だということは、この際隅において置く。
 目を閉じたまま、キャサリンはくすりと微笑んだ。
 黒パンツがまったくもって邪魔ではあったが、優美なことに変わりはないあの白い獣は、見た目もさることながら触り心地も極上だった。
 そんな天鵞絨のような毛皮と絹のようなたてがみを枕にして寝たというのは、よく考えると非常に贅沢なことだったのかもしれない。
 場所が物干し台であったことを差し引いても、今キャサリンがもたれかかっているごつごつとした木の幹とは比べるべくもない。


(あんなにすばらしい枕にはきっともうお目にかかれないわね。)
 などと、罰当たりな(本人は心から称賛している)ことを考えていたキャサリンはここでふと妙な感覚に襲われた。
 半覚醒状態でよくわからないが、なんだかふわふわする。
 それに暖かくて、とても気持ちが良い。
 その暖かさはあの白い獣と眠ったときの感触を思い出させて、キャサリンは無意識の内に「それ」へと腕を伸ばした。


「なんだ。起きたのか?」
 ぶっきらぼうな声が降ってきた。
 ゆっくりと目を開けたキャサリンは、たっぷり十秒は固まった。
 即断即決が身上のキャサリンも、目が覚めたら男の人腕の中という状況には咄嗟に反応できなかったのである。
 しかも平然と少女一人を抱きかかえて廊下を歩いている人が先ほどまでキャサリンの意識のほとんどを占めていたダムーその人だったから尚更だ。
(目と鼻の先に精悍な顔立ち。優美で、それでいて野生的な青年のたくましい腕に「お姫様抱っこ」されて……ロマンス・ノベルズの王道だわ……)
 客観的に状況を把握しようとしたのに、あまりにびっくりしすぎて突飛な考えにいきついてしまったキャサリンはやっと我に返った。
「も、申し訳ありません! とても気持ちが良かったものですから、その、つい思わず抱きついてしまいましたわ……」
 ダムーの首に巻きつけていた自分の腕をほどきつつ、ほのかに頬を染めながら謝罪した。
 しかし謝られたほうのダムーは違うところが気になったらしい。


「気持ちよかったのか? じゃあ運んだのはまずかったか。声をかけても起きないし、かといってあそこにいても風邪を引くと思ったんだが……」
「いいえ! そんなことはありません。わざわざ起こしに来てくださったのに、こちらこそ眠りこけてしまって。それに、気持ちよかったのはあの場所ではなく、ダムーさんの体温ですわ」


 きっぱりと言ったキャサリンだった。
 今はあの白い獣でなくとも、ダムーの腕は力強く、触れる肌は暖かい。
 この極上の腕の中よりも、ごつごつした木陰のほうが良かったと思われるなど、キャサリンにとっては心外もいいところだ。 思わず力を込めてダムーの誤解を訂正する。
 対するダムーは少し驚いたように目を見張った。
「俺にしてみれば、お嬢さんの方があったかいと思うぜ」
 実際に、ダムーは思ったよりも細く軽いキャサリンの身体を抱きかかえながら、その柔らかさと温もりを現在進行形で享受していた。
 別にやましい気持ちはこれっぽっちもなかったので、彼は正直に思ったままを口にしたのだが、ここでキャサリンがまたもやダムーの見解を否定し、補足した。


「あら、そんなことありませんわ。ダムーさんは形態変化したときもそうでしたけれど、傍にいるととても気持ちがいいんですのよ」
「そうか? そんなこと言われたことないけどな」
「ふふ。じゃあ、皆さんは知らないんですのね」


 ダムーの隣にいることの心地よさの正体が何なのか、今のキャサリンにはまだよくわからないが、それでもそのぬくもりを正確に知っているのが自分だけだと思うと妙にうれしかった。
 年頃の少女によくあるような「このことはお互いだけの秘密ね」などと言い合うことはダムー相手には難しそうだったが、キャサリンは  胸の中がふんわりと暖かくなる感覚にうれしくなった。




「あー、ちょっとそこのお二人さん」


 言っている本人が声を掛けることを非常に嫌がっていることが如実に表れているような問いかけが後ろから聞こえてきた。
 キャサリンが視線をそちらへやると、案の定苦虫を噛み潰したような、呆れたような顔のケイティがそこにいた。
「あんたら、いつまでその格好でいる気なの?」
 ケイティに指摘されてはじめて、キャサリンはいまだに自分がダムーに抱えられたままなのに気づいた。
 いくら父の屋敷とはいえ、召使いも含めて廊下は人の往来が激しい場所である。
 まして、どんなに気持ちよかろうとも、年頃の娘が人前で男の人に抱きついている姿などニーナが見たら卒倒しそうだ。
 加えてダムーに対して非常な負担をかけていると思うと、自分の迂闊さとダムーへの申し訳なさとケイティに対する羞恥でキャサリンは今さらながら真っ赤になった。
 ダムーを急かして即座に床に下ろしてもらい、改めて謝罪を告げると、キャサリンはニーナが呼んでいるというケイティの言葉に飛びつくように足早にその場を立ち去った。


「まったく、お嬢さんを探して来いとは言ったけど、イチャつけと言った覚えはないんだけど?」
 げっそりしながらもどこかからかうようにケイティが言った。
 実は、ニーナからキャサリンへの言付けを頼まれたケイティはしばらく前から二人のかなり後ろにいたが、かゆくなるような甘い雰囲気のせいで出るに出れなかったのだ。 どうせダムーの鋭敏な感覚には捕らえられていると思っていたが、キャサリンへ用があるとはいえ、 今の二人に自分から話しかけるのは勘弁してほしかったのでしばらくは様子を窺っていた。
 ところが、いつまで待っても二人の雰囲気は変わらない。相変わらずダムーはキャサリンを抱えたままだし、キャサリンはなぜかうれしそうに微笑んでいる。
 できればくるりと方向転換したいところだったが、メイドさんに頼まれたからには一応キャサリンにも声を掛けるのが礼儀というものだ。
 仕方なくケイティは馬の足に蹴られる役目を演じることにしたのである。


 しかしそんなケイティを横目に、キャサリンの後姿を見送ったダムーは普段とまったく変わらない様子だった。 変わらなさ過ぎてケイティが額を押さえたくらいに。
 ダムーは右手でおもむろに腹部をさすりながら呻くように呟いたのである。
「腹減ったな」
 これだ。
 ダムー相手に恋をするような真似は自分は絶対にしないが、もしそんな女の子がいてもきっとこのガサツさに愛想を尽かすに違いない。
 思わずそんなことを考えてしまい、ケイティは疲れたように溜息を吐いた。


(あのお嬢さんも、しっかりしてるんだか天然なんだか……。まあ、別に恋愛感情ではないんだろうけどさ。)


 恥ずかしげもなくダムーの腕の中のすばらしさを語っていた少女に、ケイティは改めて「とんでもないお嬢さん」という称号を密かに与えた。



 その日、ダムーの機嫌が珍しく良いことにベラフォードはともかくヴィンセントまでもが不思議に思っているのを見て、ケイティがますますげっそりしたことを本人たちは知る由もない。




なぜか長くなってしまいました……。無駄にいろいろ書きすぎました。
ちなみに、初のレディガン小説です。
前から書きたかったので、一応形になってうれしいです(駄文ですが)。
今後も気が向いたらこちらも更新していく予定です(未定ですが)。


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