拍手御礼企画

殺生坊主とネコ娘 【五】






数日後。
ある妓楼の一室でくつろぐ男の姿があった。
上等の着物は胸元がしどけなくはだけ、眼光は鋭いのにどこか退廃的な雰囲気を漂わせながら杯を傾けている。
娼妓がいれば、一も二もなくしなだれかかるに違いない色気を放ちながら、しかし男はそばには酌をする女の一人も寄せてはいなかった。
そうして、しばし酒と肴だけで時を過ごすこと数刻後。
障子が静かに開く音とともに、誰かがするりと部屋の中へと入り込む気配がした。


窓辺から宵闇の街並を見下ろしていた宗像は、ゆっくりと視線を部屋の入り口へと向けた。
「……しばらく誰も近づけるなと、女将に言っておいたはずなんだがな」
「あら。お邪魔だったかしら。でも、妓楼の一室を借りておいて、娼妓を呼ばないなんて無粋な真似をいつまでもなさるわけではないのでしょう?」
宗像の冷めた視線を艶然と微笑むことで受け流した女は、そのままゆっくりと宗像の隣で腰を下ろした。
女は月下に咲く一輪の花のように凛として美しかった。
くっきりとした目鼻立ちとすらりとした肢体。
透き通るように白い肌は肩口から胸元にかけて惜しげもなく曝され、濡れたような黒髪がひと房流れて実に艶めかしい。
女は優雅な仕草で酒の入った器を手に取り、にっこりとほほ笑んだまま酌をした。


宗像は初めの内こそわずかに迷惑そうな表情を見せていたが、女が侍ってからは肩をすくめただけで 黙って酌を受けた。
そのまま一気に杯を飲み干し、女をまっすぐに見つめて不意に小さく笑った。
「――わたくしの顔に何かついておりますか?」
「いいや。ただ、あんたを見てるとちょっと思い出す奴がいてね」
「まあ。女を前にして他の方のことを考えるなんて、妓楼でお酒しか買わないよりも無粋ですわよ」
少し拗ねたような女の声は、しかし甘く痺れるような響きである。
「そうだな。まあでも、俺が思い浮かべてるのはあんたみたいに世の男を皆虜にするような美貌や色気は 持ち合わせちゃいないぜ。似ているところなんかないはずなんだが、不思議なもんだな」
本当に不思議そうに首を傾げる宗像に、女は身体を密着させた。
「ねえ。そんな方の話は今は聞きたくないわ。それとも、わたくしではご不満……?」
宗像は口の端でふっと微笑み、女を強引に引き寄せた。
「素直な女も悪くない」
それは誰と比較しての言葉なのか。それを指摘する者はこの場にはいない。
宵闇の中、二つの影は重なるように横になる。
夜の街の喧騒をどこか遠い場所のように聞きながら、口元に弧を描いたのは果たしてどちらか――。


+++


女は男に身をまかせながら、愉悦の笑みを口元に刻んでいた。
今宵の≪獲物≫はいつになく上等だった。
見目も良いが、なにより内からあふれる力が強い。
これほどまでに質の良い男の精気を奪うのは、何にも勝る悦びに違いない。
宗像が評したように、世の男を一目で虜にしてしまうほどの魅力と力をもった女は、しかし、 胸元を直に滑る男の指の動きに微かな違和感を感じて閉じていた目を開けた。
そして目が合った男の表情に本能が最大の警鐘を鳴らす。
「――っ!!」
頭で考えるよりも早く身をよじり、かろうじて男の身体から抜け出すことに成功した女は、はだけられた己の胸元を見て絶句した。
胸の中心にあるのは、服従の刻印。
あとわずかで完成するその術を、組み敷いたわずかの時間で施すその手際は力ある者の証。
ここに来て最大の警戒と威嚇をし始めた女に対し、宗像は肩をすくめた。
「残念。やっぱり一筋縄じゃいかねえか」
それほど残念そうでもない声が女の耳朶を打つ。
女がかっと目を見開いた。次いで盛大に舌を打つ。
「お前、僧侶か!! 道理で力があふれているわけだ」
「褒め言葉か? 光栄だとでも答えた方がいいのかね」
緊張感のない受け答えをする宗像だが、決して油断しているわけではない。
その証拠に、かなりの力を持っているらしい眼の前の女――否、妖がこの場から消えようとして出来ないことに再度舌打ちした。
「『場』を作ったか。小賢しい」
「悪いな。せっかくあんたから来てくれたんだから、精一杯の歓迎をしようと思ってね」
「……つまり、最初から私が狙いだったわけか」
すでに口調が違うだけでなく、纏う妖気を隠しもしない女は悔しがってはいてもまだ余裕があった。
部屋に結界を張り、妖を逃がさぬよう手を打っている宗像は内心訝しく思いながら、表情は楽しげに女に応えた。
「まあそうだな。本当に俺に喰い付くかどうかはやってみないとわからなかったが、意外と早く罠にかかってくれて助かった」
実際、宗像はいくつか場所を変えながら、ここ数日の間罠を張り続けたのだ。
「ふん。まあ、この私をここまで追い詰めるとは大したものだ。が、最初に術を完成させられなかったこと、後悔するがいい」
次の瞬間、女の胸に刻まれていた刻印ははじけ飛んだ。
宗像がわずかに瞠目する。
にやりと不敵な笑みを浮かべた女は、徐々にその本性を現し始めた。
女が纏う妖気が、妓楼の一室を埋め尽くす。
結界を張り、『場』を作っていてよかったと内心宗像が安堵した次の瞬間、眼の前の女の姿が瞬時に変じた。
「ほう」
感心したような男の声を聞きながら、女――変じて漆黒の獣となった妖はぎらついた眼で宗像と対峙した。
しなやかで美しい、三本の尾をもつ黒豹を思わせる妖は、人型のときとは比べ物にならぬほど大きな妖気で宗像の結界に穴を空ける。
今度は宗像が舌打ちをする番だった。
服従の刻印は術完成半ばで解かれ、結界も崩された。どうやら想像以上に力ある妖だったらしい。
宗像優位の状況は崩れたが、すぐに調伏の体勢を整えようとしたその時、不意に妖が――声は人型のときのままで――呟いた。
「ほぅ。お前、我が同族を使い魔としているのか」
「何?」
突然の話に訝る宗像を無視して、妖は眼を細めるようにして窓の外へと視線を投げている。
「同族として恥ずべき弱きものではあるが、人ごときに囚われるとは何と愚かな……」
妖の呟きに宗像ははっとして周囲の気配を探る。
数日前に使い魔として傍に置いた、良く知る気配がすぐ近くにいる。
どうやら宗像のことが気になって白猫姿のままで様子を見に来たらしい
結界が壊れて妖気が漏れ始めてからは、居ても立っても居られないという気配が主として使い魔と繋がっている宗像にも伝わって来た。
思わず盛大に悪態をつきそうになった。
(あの馬鹿。大人しくしていろと言ったのに)
宗像の内心の動揺を悟ったように、妖が面白そうに口を開く。
「どうやら、相当気に入っているようだな。あれに悟られることなく護りの印が組まれているようだ」
「それがどうした。そんなことよりも、さっさと逃げなくていいのか? 逃がすつもりはないが」
「この私がここまで追い詰められたのは初めてだ。礼としてお前に私の牙をと思ったが、そうだな、 代わりにお前の大事な使い魔をもらっていくとしようか」
心底愉しげな様子の妖は、どうやら標的を宗像本人からその使い魔に移したらしい。


+++


予想外の展開だったが、宗像は眼の前の妖を見逃す気はさらさらなかった。
近くにいるとは言え、朝来のいる場所までは少し距離もある。
そこへ行かせる前に調伏してしまおうとして、胸の前で印を組んだ。
眼に見えぬ捕縛の網が構築される。
迅速に、正確に。
数瞬で術を完成させてためらいもなく前へと放った瞬間――。


「嵬!!」


闇を引き裂く悲鳴のような叫びが宗像の意識をわずかに逸らした。
名を呼ぶ声は警告。
その意味に瞬時に気がついた宗像は、振り向きもせずに背後に盾の術式を展開。
盾により弾かれたのはいつの間にか出現していた妖術。それを背中で感じつつ、窓から入り込み、己の左肩にすとんと乗って来た白い子猫に内心ため息をついた。


それに目ざとく気がついた朝来は不満も顕わに口を開く。
「助けてあげたんだから、礼くらいいいなさいよ」
「はいはい。それよりも、俺は宿でじっとしていろと言わなかったか?」
「う……それは」
思わず口ごもった。
朝来としても、どうしてこんなにも必死になって宗像を助けようとしたのか己の心がよく分かっていないところがある。
それでも気になって不安で仕方がなかったのは、きっと使い魔にされたせいだと無理やり自分を納得させる。
しかし、捕縛の術を放とうとする宗像の背後から、妖術――おそらく幻術の類だろう――を見つけた瞬間は、主からの命がないにもかかわらず 身体が動いていたのは確かだ。
宗像が対峙している敵が己の同族だということは瞬時にわかったが、それでも 宗像を助けることに関しては何の迷いもなかったのだ。
「とにかく、早く終わらせるわよ」
己の気持ちを誤魔化すように、強引に話の矛先を変えた朝来にもう宗像は何も言わなかった。


宗像の放った捕縛の網を避けた妖が、さも面白そうに高笑いをしたからである。
わずかに緊張して朝来が視線を向けると、思わぬ鋭さで射ぬかれるように目が合った。
妖が口を開く。
「囚われた痴れ者が」
蔑む視線と酷薄な口調に、凍りつく朝来は次の瞬間暗転した。
何か叫んでいる宗像が遠くなる。
精神干渉されたのだと、気がついた時にはすでに術は完成されていた。


意識は沈む。深く、深く――。







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やっと更新したはいいけど、長すぎですね。
う〜ん。ま、いいか(適当)