拍手御礼企画

殺生坊主とネコ娘 【七】






宗像の動きは速かった。
見ていた漆黒の妖がこの僧侶は本当に人間かと思ったくらいだ。
瞬きの内に白銀の妖と化した朝来の眼前へと移動する。
膨大な妖気をもつとはいえ、初めて成獣した朝来はまだ己の身体と力を持て余しているらしい。
自我はないが、標的の予想外の動きに一瞬固まった。その瞬間を逃さず、宗像は印を組んだ手を朝来に押しつけながら至近距離で視線を合わせた。


+++


朝来の意識は表層と深層の間を漂っていた。
一時は暗い闇を漂い過去の因縁にとらわれかけたが、今はなぜか何も感じない。
もうすこし表層まで登っていけば何か大切なことを思い出しそうな気がしたが、何かに阻害されるようにそれより上にいくことはできなかった。
目に見えない何かに束縛されているような感覚はあるが、今いる場所は心地よい波間のようだ。考える力を奪われて身を任せるように現実逃避をした朝来は再び目を閉じようとして――。


「主人の言うことが聞けない奴には、おしおきだな」


ここ数日で聞きなれた低い声音にびくりと(意識だけで実体はないのでおかしな表現ではあるが)肩を震わせた。
おそるおそる目を開ける。
「きゃぁ!」
「ほほぅ。人の顔を見るなり悲鳴とは、いい度胸だ」
肉食獣もこれほどギラついてないに違いないと思わせる、危険な笑みを浮かべた宗像がそこにいた。
先ほどまで意識だけだったはずの朝来はいつの間にかその姿かたちを人型に変え、目の前の男ももちろん実体のように見えた。
「え、何、どうして……」
ここは自分の意識の中だ。ぼんやりとだがそれくらいは感じ取っている朝来は目の前にいるはずのない男を見つけて混乱した。
そんな朝来をよそに、宗像は微笑を引っ込めて朝来の額に額をくっつけた。
思わぬゼロ距離に身を引きかけた朝来の腰をぐいっと引き寄せる。
宗像が小さく呪を唱えると、くっついた額から温かい力が朝来の身体を駆け巡った。
同時に、何かに縛り付けれていたような感覚が解かれる。
呆けたような朝来から額を離した宗像がにやりと笑いかけた。


「さっさと起きろ。あんまり寝ぼけてると何をするかわからないぜ」


そんな空恐ろしい言葉を残して、宗像は朝来の前から忽然と消え失せた。
その直後、ものすごい勢いで朝来は意識の表層へと引っ張られる。


―――自我を取り戻し、目を開けて飛び込んできた光景に息がとまった。


膝をつき、左肩を何かに抉られおびただしい血を流す宗像。
距離を置いてその口元を男の血で濡らした漆黒の妖。
(――どういう、こと?)
混乱しかけた朝来は、しかし、血を流しながらも宗像が己の背の後ろに自分をかばっていることに気がづいて唸った。
それは正しく獣の唸り声であったが、その声で一瞬だけ振り向いた宗像がふと小さく笑う。
まるで、しょうがない奴だ、と労わるようなそんな優しい笑みだった。
だが、おそらく自分のせいで大けがを負ったに違いないと確信する朝来にそんな男の機微が感じ取れるはずもなく。
むくむくとせり上がってくる怒りをその金色の瞳に宿しながら、優美な白銀の毛皮に覆われたその身を音もなく宗像の身体より前へと進ませた。


+++


「おや、精神干渉が解けたか。なかなかやるじゃないか」
朝来が宗像を守るように立ちはだかるのを見て、漆黒の妖は嘲るように言った。
朝来は金色の視線を一瞬だけ宗像の傷へと向けると、無言のまま溢れるようなその妖力を目の前の同族へと叩きつけた。
漆黒の妖は朝来の雷撃を瞬時にかわす。やはり一筋縄ではいかない。
「人間に囚われたばかりか己の意思で同族を攻撃するか。やはり、出来そこないは出来そこないというわけか」
先にも増して嘲笑の度合いを深めたそんな言葉に、朝来は耳を貸したりしない。
この漆黒の妖は、同族であるよりも前に『敵』であった。
自分自身が傷つけられるのは、慣れている。貶められるのもいつものことだ。己が至らない存在だということは朝来自身が誰よりもよく知っていた。
だが、そんな自分を出会った当初からごく自然に認めてくれた宗像を傷つけられるのは我慢ができなかった。
それは、使い魔契約を結んだ主だから、という理由などではなかった。


とにかく、赦さない。


怒りに燃えた朝来が再度の雷撃を仕掛けようとしたときだった。
身動きすら危うげだった宗像が朝来の背後から覆いかぶさった。
「何を――!」
非難しようとした朝来は、振り向いて沈黙する。
朝来の背後に構築された『盾』の術式。この漆黒の妖は背後からの攻撃にも長けていたのだと、遅ればせながら気がついたのだ。
「まったく、世話が焼けるな」
「悪かったわね! って、そんなことより血が止まってないじゃないの!!」
「あーー。まあ、死ぬほどじゃない。とりあえず、前向け、前」
呑気なやり取りの間に、漆黒の妖がその牙を向いて直進してきていた。
「っっ!」
驚異的な反射神経と脚力で朝来は背に宗像をしがみつかせたままその場を飛び退いた。
「おお、すごいな」
宗像は自分の大きな身体ごと移動した朝来に感嘆を洩らす。
朝来としては言いたいことは山ほどあったが、目の前の敵から意識を逸らすわけにもいかずぎろりと睨んで無言を貫いた。


とはいえ、実際には手詰まりである。
朝来の妖力が漆黒の妖に負けているとは思えなかったが、何しろ経験値が違いすぎる。
おそらく妖としてもそれなりに力ある存在である漆黒の妖をどうやって倒すか。
やはり自分では宗像ひとり守ることもできないのか。
そんな気持ちに囚われそうになった朝来の首元を優しく撫でる手があった。


「あんた、また何かよくわからんことで悩んでるだろう」
「うるさいわね。けが人は黙ってなさい」
「頼もしいねぇ。で、あの黒いのをどうするんだ」
「…………」
「やっぱり、同族だと攻撃しづらいか」
「ちがう!」
宗像の呟きに近い問いに思わず反論する。
だが、この男ときたら朝来が振り向いた瞬間に、ちょっと一歩引いてしまうような人の悪い笑みを浮かべたのである。
「なるほど。じゃあ、完膚なきまでに叩きのめしても別にいんだな」
「は?」
「俺としては、女に手を上げるのは主義に反するんだが仕方がない」
「え、ちょっと」
「庇われてるだけってのも、沽券にかかわる」
この男は突然何を言い出すんだ、と目を丸くする朝来。宗像はそんな朝来に笑いかけながらこうのたまった。


「俺は、自分の女を守るのが生きがいなんだ。その女を一瞬でも奪われたとなれば、それなりの落とし前はつけさせてもらわないとな?」


理由はよくわからないが、宗像が恐らく相当お怒りなのだということだけは朝来にもわかった。
あまりの迫力に、朝来が漆黒の妖から意識を逸らしたその時だ。
眩い閃光がその場を満たした。
最後に見た男の口角がわずかに上がったことに、安堵よりも不安がこみ上げてきたのはきっと間違いではない。
そして朝来は耐えきれず目を閉じた。





▼【八】
※拍手再掲