拍手御礼企画

殺生坊主とネコ娘 【九】






「嵬!!」

大きな体躯が崩れ落ちる様は、まるでスローモーションのように見えた。
朝来は蒼白になりながらもそのしなやかな身体で宗像に駆け寄る。
血の気の引いた白い顔に苦悶の表情を浮かべて、宗像は意識を失っていた。
その肩口は黒い。―――明らかに血を流し過ぎている。
人は、こんなにも簡単に命を失うのか……。
脳裏によぎった最悪の結末を無理矢理振り払い、朝来は鼻先を宗像の顔に擦り付ける。

「嵬! 嵬! 目をあけて!」
己の中に神など持たぬはずの妖が、祈るような気持ちでその名を呼び続ける。
それでも、宗像はぴくりとも動かない。
「……嘘、でしょう……冗談はやめてよ。嵬、ねえ、目をあけてよ!」
いつのまにか、朝来は人型に戻っていた。
白い薄衣を羽織った状態で、呆然と座り込む。
「丈夫なのが取り柄だって言ったじゃない……死ぬほどの、っ傷じゃない……って!」
叫び声には嗚咽が混じり、大きな双眸からは透明な滴がぽろぽろと零れ落ちる。
動かない宗像にすがるようにしてうずくまっていた朝来は、しばらくしてある変化に気付いた。

―――トクン

「!」
鼓動が聞こえる!
まさか!
勢いよく顔を上げたその瞬間。

「―――ん、あぁ、朝来か」
うっすらと目を開けた宗像が眩しそうに朝来を見つめている。
「嵬……」

ああ、彼は生きている!
思わず洩れた安堵の吐息。そんな朝来を見ていた宗像が口の端をわずかに上げた。
「よかった。あんたは、大丈夫そうだな」
朝来は宗像の言葉に一瞬虚を突かれたような顔をする。
そうしてゆっくりとその意味を呑み込んで、眉間に皺を寄せた。

「私のことより、あんたの方が大丈夫じゃないわよ!」
心配のあまりきつい物言いになる朝来の言葉を軽く聞き流した宗像は、ふとその目元に視線を投げた。
「心配したか?」
「っっ! 当たり前でしょう!」
「そうか」
眉尻を釣り上げる朝来とは対照的に、宗像は一瞬だけ微笑した――ように見えた。
そしてふつりと意識を失った。


朝来はもう迷わなかった。
(絶対に死なせない!)
固い決意とともに、白銀の獣へと形態変化を行う。
その姿で宗像を背負うと、あり余る妖力を使って最速で宿場町へと駆ける。
人目のつかない場所まで来ると人型に戻り、宗像を寝かせたまま依頼人の元へと急いだ。


+++


ゆっくりと目を開けた宗像は、全身の倦怠感に眉をしかめながら頭を動かして状況を確認した。
見慣れない白い布団が敷かれた寝床。
薬草の匂いと、清潔な包帯。
額には熱さまし用の水を含んだ布が置かれていて、すぐ隣に人の気配。
左の手に感じる温かい体温。

隣でうずくまるようにして眠る朝来が宗像の右の指先をぎゅっと握っている。
軽く力を入れて握り返すと、朝来の細い肩がぴくりと揺れた。


「お目覚めか」
「……」
無言の朝来に軽く眉を上げた宗像は、その目元を指先でさらりと撫でた。
うっすらと赤みがかった目元には涙の痕が残っている。
目元と頬を何度か往復した手は、そのまま朝来の耳元の髪をかき分けて細く柔らかな髪をもてあそぶように動く。
しばらくは互いに無言のまま、宗像は朝来の感触を楽しみ、朝来は宗像の体温を肌で感じていた。


再び朝来の目元を指の背でなぞった宗像が口を開く。
「心配かけたみたいだな」
「……死んでしまったかと思ったわ」
「大丈夫だ。このくらいじゃ死なねえさ」
「……死にそうな声で言っても説得力なんかないわよ」
これにはさすがの宗像も苦笑した。
「まぁ、今回はちょっとやばかったかもな」
命の危険があったというのに、まるで自覚のないような宗像に対して、朝来の中でふつふつと何かが沸き起こった。
怒りではない。苛立ちでもない。ただ、唐突に思ったのだ。
「―――さないから」
「? なんだ」
「許さないから。私の目の前で私より先に死ぬなんて、絶対に許さないから」

そう言う朝来の眼の奥に、揺るがぬ決意の炎が見えるようだった。
想像以上に真剣なその視線に、宗像が内心で呻く。
まだ年若い少女――しかも実は力ある大妖――に堕ちた自分を自覚しながらも、決してそれは悟らせない。


(もう、逃がさない)


自分の気持ちにまだ無自覚な朝来は、あらゆる意味で自分が捕獲対象になったなどとは夢にも思っていないだろう。


数日間の療養を経て、尋常ではない早さでの回復を見せた宗像が最初に行おうとした術――。
それは、朝来に刻んだ使い魔の印を消すことであった。
―――朝来はそれをまだ知らない。





▼【了】
※拍手再掲