華麗なる宴の影で
≪第2話≫
神崎椿が初めて竜二を目にしたのは半年前だ。
その日も都内のホテルで盛大なパーティーが開かれていた。
元々造船業から成り上がり、今では様々な分野で手広く活動する神崎グループの一人娘である椿は以前からそういったパーティーに頻繁に参加していたのだ。
そこに、裏の世界では知らぬ者がいない九竜組三代目が顔を見せたのである。
椿でも名前だけは知っていた存在。
自分よりも十は年下の”少年”といって差し支えない年齢のその人物は、しかし、予想を上回る存在感と威厳でその場を支配した。
それでもその時は、椿もまだ彼のことをまったくと言っていいほど何も知らなかった。
だから、ちょっと目に止まった少年を少し試す気持ちで気軽に声をかけたのである。
「初めまして、神崎椿と申しますわ」
「神崎……ああ、あんたのところの船はうちも使わせてもらっている」
艶然と微笑みながらの自己紹介に返ってきた言葉は、そっけないくらいのものだった。
だが椿はその視線にたじろいだ。
目が合ったのは一瞬だったにもかかわらず、内心を読まれてしまったかのような居心地の悪さ。
それでいてこちらが覗き込もうとするとはじかれる、そんな眼に、畏れよりも興味が湧いた。
何者にも囚われないかのように見えるその瞳に、自分が映ったとしたら……。
そんな他愛もない想像が、自分でも呆れるくらい胸を躍らせた。
それからの彼女の行動は、慎重かつ大胆だった。
九竜組はもとより、竜二の常の行動まで細部に渡って調べさせた。
竜二が出席するパーティーの類にはできるだけ椿も参加してそれとなく顔見知りにもなった。
だが、竜二のことを調べれば調べるほど、実際に会えば会うほど、彼女の想いは一層強くなった。
――彼が、欲しい。
あの男こそ、神崎の跡取りとしての自分にも、ただの女としての自分にも相応しいと思った。
そんな時だ。
いつもの報告の中に、一人の少年の名がよく挙がることに気がついた。
いや、良く調べさせてみると竜二と同い年の男装の少女だった。
九竜組に莫大な借金があり、その返済と称して竜二のボディガードとして働いているというその少女。
信じがたいことだが、その戦闘力は人間離れしているという。
それよりも信じられないのは、その少女を九竜組三代目組長が誰よりも気にかけているというその事実だった。
――あの孤高の眼に、どこの馬の骨とも知れない野蛮な娘が映っている……?
それは、気位の高い椿には到底容認できないことだった。
九竜組三代目についての報告書に目を通しながら、椿は呟く。
「三代目に相応しくない身の程知らずな娘には、少しお灸が必要かしら」
どんな男も虜にする自信のある妖艶な笑みを形のよい唇に浮かべ、ひっそりと笑う女の姿を見るものはいない――。
+++++
竜二に隣にいるよう言われ、あまつさえ腕まで絡められた司はもう居たたまれない気持ちで一杯だった。
――視線が痛い。
特に先ほどまで竜二の周りに群がっていた女性たちの視線は凄まじい。
司など、その内の一人と思わず目が合ってしまい、その眼光にぎょっとして咄嗟に目を逸らしたくらいである。
(……怖えぇ〜。肉食獣の竜二並の視線じゃねえか)
だが肩をすくめながらも、竜二の隣に立っていることで先ほどまでの胸のもやもやが綺麗に晴れていることも同時に感じ取った司は 己の現金さに苦笑を噛み殺す。
というか、先ほどの竜二の優雅なキスが一瞬で不安感だとかヤキモチだとかいう諸々の感情を吹き飛ばしたのである。
それが悔しいのに嬉しいと感じることが、なんだか非常に居たたまれない。
だから、というのは言い訳かもしれない。
だがその時、司は自分で思っているよりも隣に立つ竜二の存在を意識しまくっていた。
どこからともなく現れた女性が竜二に話しかけても、それほどその女性を気に留めなかった。
さらに、これまたいつの間にか目の前に現れた見目の良い男性に話しかけられると、自然と竜二から意識が離れた。
その男性は九竜組三代目の同伴者に何の恐れ気もなく気さくに話しかけ、口ではやんわりと、しかし少々強引に司をバルコニーに誘い出した。
いつもの竜二なら、他の男に司が連れて行かれるのを黙ってみていたりはしない。
特に今の司は誰が見ても感嘆するような美少女だ。
それこそ全身全霊をかけて阻止しようとするくらいが普通である。
だが間の悪いことに、その時竜二に声をかけてきたのは神崎グループの総帥父娘だった。
別に話を切り上げても支障はないが、近々取引のある相手でもある。
竜二と司は互いに離れる瞬間、さっと視線を合わせる。
なんとなく、司がほっとしているような表情をしたのが気に入らないが……。
(仕方がない。あとですぐ回収するか)
司が聞いたら「俺はモノか!」と盛大に文句を言いそうな独白を洩らして竜二は目の前の神埼父娘に向き直った。
あれほど居たたまれなかった腕を解いたら解いたで、後ろ髪を引かれるような気がしながら、司は隣を歩く男の言葉を聞き流していた。
「そのドレスはもしかして“Rosebuds”で?」
連れだって歩きながら見知らぬ男に尋ねられ、そういえば朝来に連れて行かれた店にそんな文字があった気がすると思い出した司は曖昧に頷いた。
「ああ、やはり。とてもお似合いですよ」
「……それはどうも」
謙虚に答える司に、男はくすりと笑いを洩らした。
「でも、貴女は“つぼみ”というより“大輪の薔薇”という感じですね。会場に入ってこられたとき、本当に目を奪われましたよ」
そう言って軽くウインクする姿はキザだが実に様になっていた。
司をバルコニーの方に巧みに誘導する人物は、声をかけられたら女の子なら誰もが頬を染めそうなほどに容姿の整った男だったが、 あいにくと『普通の』女の子の感性をあまり持ち合わせているとはいえない司は先ほどから自分に向かって言われている言葉に むず痒さを通り越して鳥肌を立てていた。あくまで、密かに、ではあるが。
しかし、しばらくすると司は別の感覚を研ぎ澄ましていた。
それは、勘、と呼べるものだった。
だが、感じた違和感を無視することはできなかった。
頭の隅で、微かに警鐘が鳴る。
司は思わず足を止めて周囲に視線を向けた。
「?」
「どうしました?」
男の問いかけを頭から無視して司はなおも周囲に意識を配る。
しかし、何も不審な点がないことを確認すると少し首を傾げて呟いたのである。
「おかしいな? なんか首筋がチリチリするようなヘンな感じがあるんだけど……」
「ここですよ、ほら、すごく見晴らしが良いでしょう?」
司の呟きは聞こえなかったらしい男がそう言いながら自然と腰に手をやろうとするのを司はするりと身体を反転させてやりすごす。
そして、男の制止も聞かずにつかつかともと来た道をたどって竜二の下へと歩み始めた。
司としては無視できない気配がある上に、これ以上名前も知らない男の話を聞く理由もなかったから、という至極もっともな理由があったのだが。
「ちょ、司さん?」
男の呼びかけに、今度ははっきりと警戒した目を司が向けた。
「……お前に名乗った覚えはないぞ」
その言葉に男が軽く舌打ちしたのを見て、司は反射的に飛び出した。
が、一瞬早く男が司の腕を掴む。
「放っ……!!」
言葉は最後まで言えなかった。
男が右手に仕込んだ即効性の麻酔針がその効力を遺憾なく発揮したからである。
「……手間をかけさせるなよ」
司は、感じていた違和感が竜二に向けられたものでないことを確認すると、薄れゆく意識の中で男が呟いた冷たい声音を聞きながら、『あー、あとで竜二に何言われるか……』 と呑気なことを考えていたのだった。
久しぶりの更新。う〜ん、このあとどういう展開にするかまったく決めていない……。
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