その瞬間は突然に
≪第1話≫
ドアを開けて外に出た途端、身震いするような冷気が全身を覆った。
室内が暖かかったせいもあり、冬の外気は刺すように冷たい。
朝来はぐるぐると巻いたマフラーを頬の位置まで上げ、肩をすくめて寒さをやりすごした。
今日は日曜日なので学校はない。
朝来は門を出る前に一通り自分の姿を確認した。
白いセーターにココア色の膝丈スカート。黒いロングブーツを履き、ツイード生地でできたベージュのロングコートを羽織り、寒さ対策としてマフラーと手袋を嵌めている。
(別にどこもおかしくないわよね)
朝来はうん、と独り頷き意気揚々と門をくぐって外に出た。
今日は快晴。絶好のデート日和である。
+ + + + +
―――…が。
「……なんで、射撃場?」
呆然と朝来が呟いた。
晴れの日曜に、彼女連れで朝からやってくるような場所ではないような気がする。
呆れ、不満、疑問、その他もろもろの感情を隠しもせずに顔中に浮かべた朝来に、しかし隣の男は動じない。
「たまにはいいだろう」
そう言って、車から降りるとすたすたと歩き始めてしまった。
無駄に高い身長、無駄に鍛えられた体躯、そして無駄にでかい態度をもつこの男の名は宗像嵬。
警視庁の特殊班、GRAVEに在籍するポリスである。
しかし、右のこめかみから頬にかけて残る傷痕といい、凶悪な目つきと荒事を好む性格といい、その辺のヤクザよりもよほどヤクザらしいので ポリスと言われてもすぐにはピンとこない。
しかも彼の現在の恋人は、今や日本の極道界のトップといえる九竜組、その分家頭である銀竜会を仕切る守門組の娘、つまり朝来だ。
何から何まで規格外の男に置いていかれそうになり、朝来は慌てて後を追った。
都内から少しはずれた場所にあるその射撃場は、意外と広く設備も充実していた。
受付から離れたところで大人しく待っていた朝来に向かって、宗像は自分のとは別の耳当てと銃を手渡した。
あまりに自然な動作だったので、何も考えずに受け取った朝来だが、ふと首を傾げる。
宗像はともかく、朝来はまだ十五歳。
(ここって、民間の施設よね……私みたいな年齢の人にまで貸し出したりできるものかしら……?)
極道の娘である朝来は本物の銃を目の前にしても驚きはしないが、さすがに疑惑の目を宗像に向けた。
「なんだ? 撃たないのか」
朝来の視線を別の意味に解釈した宗像は不思議そうに問い返す。
「撃つ……けど、よく私の分まで貸してもらえたわね?」
朝来の言葉に、ああ、と納得した宗像は、途端ににやりと口の端だけで笑い、声を低めてこう言った。
「ここのオーナーとはちょっとした知り合いでな。俺が言えば多少の融通は利くのさ」
一体どんな知り合いで、どれほどの融通が利くのかは、おそらく聞かないほうがいいのだろう。
朝来に銃を貸している時点ですでに法に触れているような気がするが、しかしそれを率先して(脅迫して?)やらせているのが他でもないポリスなのだから、 文句を言っても仕方がない。
朝来は溜息をひとつ吐いただけで、目の前の違法行為を黙殺した。
パン、パン、パン―――
銃声がリズム良く響き渡る。
的の前に立つのは、まだ年端もいかないような少女だ。
コートを脱ぎ柔らかに波打つ色素の薄い髪を背中に流したか細い少女は、だがその外見を裏切って見事な腕前を披露した。
まずは肩慣らし、と言わんばかりの楽な体勢から、ろくに狙いも定めずに撃った銃弾は、正確に的のど真ん中を貫通している。
驚くべきことに、銃声は三回したはずなのにどこをどう見ても的に空いた穴は一つしかない。
一ミリのずれも許さず三発をまったく同じ箇所に当てた朝来は、ふーっと息を吐いて振り返った。
「……何笑ってるのよ」
「いや、相変わらずいい腕してると思ってな」
ぱちぱちとわざとらしく拍手する宗像に、朝来はむっとして言い返した。
「次はあんたよ。穴を増やしたり、大きくしたりするのは却下ね」
つまり、先ほどの朝来とそっくり同じことをしろ、というわけだ。
「おいおい、いきなりかよ。きびしーなぁ」
全然そうは思ってなさそうな口調で言って、宗像は無造作に銃を構えた。
パンパンパン―――
先ほどよりも間隔の短い音が続けざまに三回。
音のした方を見ると、さっきの華奢な少女に代わり、見るからに銃に慣れていそうな目つきの大男が的に向かって立っていた。
左手をジャケットのポケットに入れたまま、右手だけで銃を持つ男が狙った的は、先ほどから欠片ほどの変化も見られない。
かといって、すべての銃弾が的からはずれたわけでもない。
目のいい朝来は、宗像が放った弾が寸分の狂いもなくすでに開いている的の穴へと吸い込まれるのを見た。
「なっ…………」
まさか本当に言ったことを実行するとは思わなかった朝来は、思わず絶句して宗像を見上げた。
宗像のほうはといえば、そんな神業のような腕を披露しながら飄々とした態度は相変わらずだ。
「ま、こんなもんだろ」
なんでもないことのように呟いて固まる朝来を見た。
「何を驚いてんだ。お前だってあのくらいできるだろうが」
これをまた当然のように言うのだ。
確かに、三発を同じ箇所に当てることは朝来にもできる。最初にやってみせたばかりだ。
しかし、この男は朝来よりも早く、しかも片手で無造作にやってのけたのだ。結果は同じでも腕の良さでは一枚上だ。
この事実に、朝来のプライドがむくりと鎌首をもたげる。
「当然よ!」
高々と宣言した。
決して驕りではなく朝来にはそれだけの実力があったので、言い放った言葉も嘘ではない。しかし、それを聞いた宗像はかかったとばかりに笑ったのである。
「それじゃあ、勝負でもするか?」
疑問形だが、この流れで朝来が拒否などするはずがない。
踊らされていることを充分に自覚しながらも、朝来は挑戦的に頷いた。
――かくしてゴングは鳴らされた。
『敗者は勝者の言うことを聞く』
この条件に同意した二人は、デートとは思えない真剣な顔で銃を握りなおした。
宗像氏は勝ったら朝来に何をさせるつもりなんでしょう……
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