その瞬間は突然に


≪第3話≫



「アラ、起きた? お譲ちゃん」

 いきなり隣から聞こえてきた妙に艶っぽい女の声。
 まどろみを邪魔する無粋な気配に不機嫌になったのは一瞬。
 心地よい眠気は一瞬で拡散した。
 見たこともない妙な女と、それに付き従う数人の黒ずくめの男たち。
 彼らの内の一人が、朝来の背中に銃を突きつけていた。
 しかし朝来は冷静だった。幸か不幸かこういう物騒な気配には慣れている。
――そう、これは戦闘の気配だ。


「おっと、動くんじゃないよ。あんたは大事な人質様だけれどね、あたしはそう気の長いほうじゃないのよ」
 口角を上げ、勝ち誇ったように言う目の前の女。
 ギロリと睨む朝来に、余裕の笑みを浮かべている。
「大人しくしないなら、そうさせる方法なんていくらでもあるのよ?」
 ウェーブがかった長い黒髪をなびかせ、身体のラインを強調するようなタイトなスーツを着ているその女は、実はそこにいるだけで朝来の神経を逆撫でしていた。
 理由は簡単。
 その嫌味なまでの――そう、まるで「釣り鐘のような」乳が、一時朝来が竜二の聖妻の座を賭けて争った某組長の娘にそっくりなのだ。
 そしてまったくもって苛立たしいことに、「こういう」体型の女が好みの男を朝来は一人知っていた。


「ねえ、宗像嵬?」
「……こりゃまた、ずいぶんと仰々しい挨拶だな」
 連れに銃を突きつけられた男の第一声はこれだった。
「フフ。強がってもダメよ。調べはちゃあんとついてるんだから。昼間っからパトカーに女を連れ込むようなあなたが、今はなんと女子中学生に夢中だって  聞いたときは耳を疑ったわよ」
「……」
「そんなに可愛い子なら、目を離したりしちゃダメじゃない。ねぇ?」
 最後は朝来に対する問いかけだ。
(いちいち胸を強調してんじゃないわよ! 喧嘩売ってんの?)
という心の叫びは一応抑える朝来だった。
 睨みはするが反論はしてこない朝来をつまらなそうに見やった女は、すぐに対象を宗像に切り替えた。
「さて、このあたしを陥れた報いを、どうやって受けてもらおうかしら?」
 己が絶対的に優位にあると信じて疑わない傲慢な女に、しかし宗像は小首をかしげ、いっそ無邪気と思えるような仕草で呟いたのである。
「……誰だ…?」
「…………」
「…………」
「…………」
 宗像以外のその場の全員が一瞬呆気に取られた。
 妙な女のみ、ピシっという音と共に表情が絶対零度の様相を帯びてきている。
「っ……あんたの知り合いでしょう!?」
 思わず朝来が叫んだ。
 先ほどまでの会話(というか一方的な女の言葉)からして、当然宗像は女の素性を知っているものだと思っていたのだ。
 相手は宗像の名前まで知っていて、フルネームで呼びさえしている。
 そこまで考えて、ぴくっとこめかみが引きつった。
(……そうよ。だいたい、私でも呼んだことない名前を、この女が自分のもののように呼んでるのになんであいつは平然としてんのよ!!)
 この場合、「私でも呼んだことない」という点が重要でなのある。最近、「呼び名」には敏感なのだ。
「私だって名前で呼んでみたいのに」と言い換えることもできるだろうが、朝来はそこまで自分にも宗像にも素直ではない。
 というわけで朝来は、理不尽な拘束に対する鬱憤と、妙な女に対する嫉妬と、自分の胸の内の苛立ちをすべて、目の前の男の悠然とした態度への不満として  放出することにしたのであった。


 なぜかは知らないがいつのまにか睨む対象を変えている朝来に、宗像が片眉を上げた。
「何を怒ってるんだ?」
「別に。怒ってないわよ」
「……そんなに眉間に皺寄せて言っても説得力ないぜ?」
「うるさいわね。早くこの状況何とかしなさいよ!」
「あぁ、そういやそうだな」
 実に呑気な会話である。
 少々緊張感がなさ過ぎる。
 その腑抜けた空気が、今まで黙り込んでいた女の逆鱗に触れた。
「あんたたち、どれだけこのあたしをコケにしたら気が済むのかしら……?」
 口元だけは微笑をたたえているが、目が笑っていない。
 どころか、どす黒いオーラが背後からゆらゆらと立ち昇っているような錯覚さえ覚えるほど、女の纏う空気は剣呑だった。
「あたしを忘れたとぬかすような男には、ちょっとお仕置きが必要ね」
 女はするりとナイフを抜いた。
 もったいぶるような手つきで、刃先を朝来の頬へと近づける。
「さあて、あなたの態度次第でかわいい彼女のきれいなお顔の行く末が決まるわよ」
 ベンチに座っている朝来の背後から近寄り、ナイフを頬に当てたまま耳元で囁くように言う。


 きらりと光る刃は本物だ。
 女の力でも肌に傷をつけることなど容易い。
 普通の少女なら、がくがくと震えて真っ青になるところだろうが、朝来は違った。
 それは、極道の娘としてのプライドが敵に弱気を見せるのを断固拒否したためでもある。
 また同じ女として、こんなボンテージ女に屈してたまるか、という自尊心がそうさせたのかもしれない。
 しかし。
 こんな場面でも驚くほど落ち着いていられるのは、認めたくはないがきっと目の前の男の存在があるからだと朝来は思う。
(まったく。自分でも信じられないくらいあの男を信用しちゃってるわ)
 内心の言葉は単なる照れ隠し。
 朝来は言葉に出さない本心をその瞳で語るように、昂然と顔を上げただまっすぐに宗像を見据えていた。


『守ってくれるんでしょう?』


 そんな言葉まで聞こえてきそうなほどに。
 それは挑戦的なまでの揺るぎない視線だった。





なぜかここで新発田の娘が微妙に登場(笑)いえ、本人ではないんですけどね……


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