≪最終話≫

「さて、後のことは警察に任せて、そろそろ飯でも食いにいくか」
　落ち着きを取り戻し、宗像の腕の中で暴れ始めた朝来を残念そうに手放した宗像が言った。
　そういえばお昼もまだだったと思い出した朝来は、ふと辺りを見渡して首をかしげた。
「それはいいけど、こいつら放っておいてもいいの？」
　足元には結局正体の分からなかった女やその部下達が苦悶の表情のまま気絶している。
「ああ。別にいいだろ。どうせすぐに警察が到着するだろうからな」
「…………」
　朝来は無言でじっと宗像を見つめた。
「……なんだ？」
「……この女のこと、本当に知らないの？」
　無視すればできないこともないのだが、やはり朝来は気になって訊ねた。
　どうやら妙な勘繰りをしているらしい朝来に対して、下手に言い訳するのは得策ではないと判断した宗像は改めて女の顔を覗き込んだ。
「…………んーーー」
　ひたすら首を傾げる宗像に、もう女のことはどうでもいいと思いなおした朝来が声を掛ける寸前。
「んー……あ、ひょっとして……」
「思い出したの？」
「もしかしてこの女、半月ほど前に俺が捕まえた奴かも」
「一体何したのよ」
「あー。麻薬密売容疑だったかな。…ちょうどこいつらのデカい取引に関する情報が入ってきて捜査をしてたときにのこのこ姿を現したやつだ。 　そうそう、思い出したぜ。囮捜査だとも気づかずによりによって俺に薬を勧めてきた女だ。まあ俺みたいないい男を堕としたい気持ちもわからんではないが 　……そうか。保釈金でも積んで出てきたのか？」
　なんだか急に頭が痛くなってきた朝来だった。
　まあ、この凶悪顔の男なら黒社会が牛耳る場所に出入りしても怪しまれるどころか馴染みまくるであろうことは想像に難くない。
　そして、これも認めたくはないが、この男がいい男だということも決して否定できない事実なのだ（たとえ自信過剰の気があろうとも）。
　どうやら女の逆恨みだということはわかったが、その女の顔を見ながら朝来はふと別の考えも思いついた。
（もしかしてこの女、あいつに捕まったことより籠絡できなかったことが悔しかったとか……）
　どうもそちらの理由も無きにしも非ずのような気がして、ますます朝来はげっそりした。
（結局、一番割に合わないのは私ってことかしら……）
　朝来が深く溜息をついたのも無理はなかった。


――が。
　ここで朝来ははっとした。
「ちょっと!!　お昼とか言う前にあんたまずは病院でしょう!!」
　宗像の軽いノリで危うく忘れていたが、この男は結構な深手を負っているのである。
　忘れかけていた自分に舌打ちしそうな勢いで、朝来は宗像を引っ張るように歩き始めた。
「心配性だな」
「あんたが無頓着すぎるのよ！」
「ふぅん」
「何よ」
　こういう笑いをするときの宗像は特に要注意だ。
　朝来はこれまでの経験を踏まえて身構えたが、残念ながらその経験を活かしきることはできなかった。
「お前がつきっきりで看病してくれたら早く治りそうだな」
　いつのまにか、壁際に追いつめられた朝来は即座に逃げ道を探す。
　そうはさせないとばかりに両腕を壁についた体勢で、腰をかがめた宗像は、朝来の反応を楽しむように囁いた。


「朝来」


　宗像の予想通り、朝来は硬直した。
「どうしたんだ？」
　にやにやと笑いながら宗像が訊く。
「顔、熱いぜ？」
　固まっているのをいいことに、ふわりと朝来の頬に触れる。
　びくっと過剰に反応する朝来に、宗像はとうとう笑い出した。


「んなっ!!　何笑ってんのよ!!」
「い……いや…クク…お前もしかして、名前呼ばれたからあの時も固まったのか……？」
「そ、そんなわけないでしょー!!」
　しかし、真っ赤になりながら反論したところで説得力はない。
　なるほど。
　宗像は納得した。
　どうりであの時反応が遅れたわけだ。
　おかげでこっちは負傷したわけだが、こんな反応が見れたんならこの傷も無意味じゃないな。
　などと妙なことを考えていた宗像は、次の瞬間朝来から本日最大の反撃を食らうことになる。


「か…嵬!!　聞いてるの？」


　宗像は一瞬固まった。
……なるほど。
　再び彼は納得した。
　普段言われ慣れない呼び方で呼ばれると咄嗟に反応できないもんだ。
　名前を呼んだことが恥ずかしいのか、頬を赤く染めた朝来が睨んでいる。
　その目が潤んでいるのは緊張のせいか。
　そんな朝来に対して沸々と湧き上がる感情を制するように、宗像が少し強い口調で言った。
「あ〜。お前、二人きりのとき以外は俺を名前で呼ぶなよ」
「――なんでよ」
　不満に思っているのがよくわかる口調だ。
　宗像は苦笑を浮かべながら、しかし目だけは愉しそうに、今度は朝来にもやっと聞こえるくらいの小声でゆっくりと低く囁いてやった。


「そりゃ、俺を名前で呼ぶお前を見たら、押し倒したくなるからに決まってるだろう？」


　すでに沸騰寸前の朝来の叫びは音にはならず、吐息だけが鯉のように開閉する口から洩れるのみ。



――セクハラ発言に怒ったフリをしながら、実は嬉しかっただなんて、本人には決して言うまいと決意した朝来だった。

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終わり!!　なんか怒涛の勢いで終わらせちゃいました。
結局あんまりまとまってないし。


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