この気持ちを溶かすのは
目の前が、真っ赤に染まる。
― オマエハ何ノタメニ生キテキタ ―
頭に響くこの言葉に、私は抗う。
突然はじかれたように、がばっと飛び起きた。
ひどい寝汗だ。
心臓が激しく鼓動を打つ。
「また……」
朝来はふうっと短く息を吐き、自嘲気味に笑う。
守るべき存在を失いかけ、自らを形作っていたものをすべて打ち砕かれた瞬間。
竜二が朝来をかばって撃たれたそのときのことを、朝来は今でも鮮明に思い出す。
今となってはもう過去の話だ。
竜二自身はもちろん、組の連中も何も言ってこない。
父ですらも話題にしない。
それでも、こうして時々夢に見るのは、罪悪感か自己嫌悪か。
否。
これはきっと戒めだ。
守りたい者を失いたくなければ、甘えや弱さは必要ないと、心の奥で誰かが囁く。
+ + + + +
「おい」
呼ばれてやっと意識を浮上させた朝来は、その大きな目を瞬いて運転席に座る男の方へと向き直った。
どうやらうとうとしていたらしい。
昨夜は夢見が悪かったせいもあり、車の助手席という心地よい振動が眠気を誘う場所では、ふとした拍子に浅い眠りについてしまう。
車は守門の家の前に止まっていた。
宗像はいつも朝来を車で家まで送ってくれる。
夢のせいで、なんだか嫌な汗をかいた朝来は、急いで車から降りようとして、その腕を掴まれた。
「……何するのよ」
「……何かあったか?」
いつもこうだ。
この男ときたら、こちらが何も言わなくてもこうしてすべてを見透かしたような言動をとることがよくある。
それがまた実に鋭いから、朝来はいつも答えに窮してしまうのだ。
「別に、何でもないわ」
「にしては、顔が青いぞ」
「ちょっと、夢見が悪かっただけ。腕、離してよ」
少し不機嫌そうに言ってやったのに、この男ときたら眉一つ動かさない。
もちろん腕も離さない。
それどころか、おもむろに朝来の腕を引き寄せて、有無を言わさず朝来を身体ごと膝に乗せてしまった。
「ちょっと!!」
反射的に抗議の声を上げるが、宗像は朝来を見下ろしたまま意に介しない。
そのまま朝来の頭を自分の胸に押し付けて、大きな手で、宥めるようにぽんぽんと後頭部を叩いた。
不意打ちだった。
その仕草があまりに優しくて、思わず涙腺が緩みそうになるのを必死で堪えた。
歯を食いしばるようにして何かを耐えている様子の朝来に、宗像は何も言わない。
ただそっと朝来を抱きしめたままだ。
「〜〜〜〜っ。あんたって、本当にムカつくわ!!」
沈黙に耐え切れなくなったのは朝来の方だった。
宗像は、頬を紅潮させて睨みつけてくる朝来にわざとらしく目を見張る。
「心外だな。こんなに紳士的な俺を捕まえて。何を怒ってるんだ?」
「こんなに私を甘やかさないでよ!! 甘やかされたら、一人で立てなくなるじゃない!!」
思わず言ってしまってから、朝来ははっと口を閉じた。
これではまるで八つ当たりだ。
自分の弱さを、相手のせいにするなんてどうかしている。
それでも気まずくて二の句が告げない朝来に対し、宗像は今度こそ驚いたように目を見開いた。
「なんだ。あんた、意外と簡単に甘やかされてたんだな」
なるほどなるほど、となぜか独り納得している。
呆気に取られた朝来を面白そうに見下ろしながら、宗像はさらに言葉を紡いだ。
「確かに俺は腰が抜けるほどいい男かもしれんが、気にするな。動けなくなったら責任とって運んでやるよ」
「なっ!!」
反射的に抗議しようとしたが、それは続く宗像の言葉に遮られた。
「それにあんたはそれくらいで座りこんでしまうほどヤワじゃないだろう? だいたい、ただ守られるだけの女がメガフロートから自分の体格を遥かに上回る男を一人で助け出したりできると思うか? 何を心配しているのかは知らねえが、あんたは今でもちゃんと一人で立ってるぜ」
そして宗像は力を込めて断言した。かなり不満も交えて。
「そもそも、一人で立てなくなるくらい甘えてもらった覚えは俺にはまったくないぞ。 あんたみたいな強情な女はそうはいないからな。俺がどんだけ守ってやると言っても、どうせ大人しく守られたりしないんだろう? それともなにか、もっと甘やかせば素直に守らせてくれるのか?」
「そ……んなわけないでしょ!! 大人しく守られるような、そんな育ち方してないわよ!!」
「なら、ちょいと甘やかされてくらいで、立てなくなるわけねえじゃねえか」
そう呆れたように言われて、朝来は全身から力が抜けるのを感じた。
これは、もしかしなくとも元気付けてくれているのだろうか。
たぶんそうだと思うのだが、如何せん、言葉の端々にいろいろと突っ込むところが多すぎる。
「なんか、考えるだけ馬鹿ばかしく思えてきたわ……」
額を押さえながら呻くように言った。
でも現金なことに、落ち込んだ気分は随分と浮上した。
そして朝来の呟きにすかさず宗像が返す。
「おお、ようやくわかったか。だから、お前は気にせずもっと俺に甘えりゃいいんだよ」
ほれ来い、とばかりに腕を広げる。
「……どうして、そういう話になるのかしら……?」
まったく。頭が痛い。
ああ、でも。
なんとなく、この男なら大丈夫な気がした。
こちらが甘えても、依存してしまわない。
甘えろと言いながら、朝来が一人前であることを当然のように認識している。
それは、朝来が隣に立つことを認めてくれているということだ。
――そうか。
と、朝来は思う。
不安だったのは、自分の存在が認められているのかどうかわからなかったからだ。
ただ「守る存在」ではなく、「共に守りあう存在」として。
背中にかばうのではなく、背中合わせに戦える存在として。
宗像は「守らせろ」とは言うが、守られることを嫌がっているわけではない。
何だかんだと言いながら、結局は朝来を隣に立たせてくれるのだ。
そう思ったら、気負っていたものが霧が晴れるみたいにきれいに消えた。
思わずこぼれるような笑みを湛える。
そんな朝来を、宗像が珍しいものでも見るように見つめていた。
もちろん、どうやら朝来の悩みを解くことに成功したらしいと思い当たり、では遠慮は要らないとばかりにすぐさまその身体の感触を存分に確かめ始めたのは言うまでもない。
この日から夢にうなされることはなくなったと、朝来が気づいたのはもっとずっと後のこと――。
+ + + + +
― オマエハ何ノタメニ生キテキタ ―
そんなの決まってる。
これまでの軌跡も、それを打ち砕かれた経験も、すべては、初めて存在を認めてくれた、このいけ好かない男のためのもの。
うーん。朝来の悩みを上手く解消させてあげたかったのに、微妙になったかも……
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