男たちの受難
≪第1話≫ ―― 彼の言い分 ――
「あ、竜二。おかえ……」
――り、と言いかけたまま、司は竜二を凝視した。
眉間には皺を寄せている。
そんな司に、竜二はいつものように声を掛けた。
「……なんだ。司、おまえ兄弟のところに帰ってたんじゃないのか?」
相変わらず、司の顔は険しいままだ。
「どうした? 何かあったのか?」
そう言いながら、少しだけ伸びた司のやわらかい髪へ指を滑り込ませる。
竜二としては、もっと長く伸ばして欲しいところだが、司は高校生になっても男装で通しているので即座に却下されるだろう。
なぜか怒っているらしい司とは対照的に、竜二の様子は普段となんら変わりない。
むしろ司を気遣うように優しげな、しかもどこか甘い表情を見せている。
こんな竜二を他の組員が見たら驚愕のあまり石化していたことだろう。
なにせ、普段の竜二の顔に変化があるのは、無表情に怒気を孕ませるときくらいなのである。
そんな「鋼顔」の竜二が、司に対しては柔らかい表情をすることなど、想像すらできないに違いない。
――しかし、そんな驚天動地の表情を向けられた本人は今にも青筋を立てそうな勢いである。
「竜二」
「なんだ」
「お前、また肌荒れてるぞ……」
「……」
しばし無言で見つめあったのち、竜二はわざとらしくため息を吐いた。
「――……お前、久しぶりに会って言うことはそれなのか……」
呆れつつ、どこかがっかりしたように言う竜二。
が、司は真剣だ。
「竜二、また無理してるんだろう。そりゃあ、九竜組の三代目としてやることはいっぱいあるんだろうけど……ちょっとは自分のことも考えろ!」
「俺は無理などしていない」
「ふん。そのような戯言に惑わされる俺ではないわ! お前のこの肌の状態と机の上のこのタバコの量がすべてを物語っているではないか!!」
ふんぞり返って司が指を差す方向には、タバコの吸殻がてんこ盛りになった灰皿がある。
「まあまあ、
そう言って口を挟んだのは、竜二の側近、渋谷良行である。
己の名前に真っ向から背を向けて生きてきたことは間違いない男だが、司とも長い付き合いだ。
しかし、穏便に場をおさめようとした渋谷を司はキッと睨みつけた。
「ブンさん! ブンさんがそんなに甘やかしちゃあ、こいつが図に乗るだけじゃないか。ここは一発きちんと言っておかないと、この野郎は絶対休んだりしないぞ!」
(三代目、誰よりも熱心に仕事をしているのにその評価が「甘やかされた上、図に乗っている」じゃあ、あまりに気の毒だ……)
内心、竜二に対して多大な同情を寄せながら、さらに口を開こうとした渋谷に対し、
「渋谷」
竜二は静かに制止の声をかけた。
その一言だけで三代目の意を汲むくらいには、渋谷も竜二の傍に長くいる。
(はいはい、余計なことは言わずとっとと出て行け、でしょ。せっかくの二人っきりの時間を邪魔したりしませんよ)
物分りの良い(ついでにわが身が一番かわいい)渋谷は、小さく肩をすくめて部屋を後にした。
* * * * *
「さて。司、ちょっとこっちへ来い」
渋谷が出て行ったのを見計らって、竜二はソファに腰を下ろした。
「……お前、俺の話聞いてるか?」
せっかくの忠告もどこ吹く風の竜二に不満を抱く司は頬を膨らませている。
それでも、一応竜二の傍まで寄っていくのだから、本当に腹を立てているわけではない。
ぶつぶつと不満を言いながらソファへと進む司は、竜二が不敵に笑ったことに気がつかなかった。
「って、コラ! てめぇ、何しやがる!! は〜な〜せぇぇ〜」
恐ろしく見事な手際で司を自分の膝へと横座りにさせた竜二は、無言のまま司を抱きしめ、あまつさえ、顔を唇が触れるか触れないかの距離まで詰めている。
じたばたともがく司を実に楽しそうに押さえ込んでいる。
鼻歌まで聞こえてきそうだ
「なんだ、俺のことを心配してくれているようだから、慰めてくれるんじゃないのか」
そう言いながらも、顔を近づけようとする力は弱めない。
「ど〜してそういう話になるんだ!! だいたいお前、そんな平気な顔を装ったって、もう俺はだまされないぞ」
「……だますとは、人聞きが悪い」
「いいや。お前はすぐに一人で我慢して、俺をだますからな。この点に関しちゃあ、俺はお前を信用しないことにしてるんだ!」
びしっと指を差されて、竜二は内心嘆息した。
せっかく久しぶりに司に触れられるというのに、どうしてもゆっくりと堪能(?)させてはくれないらしい。
竜二の妙な落ち込みなど知らぬ司は、いつの間にか竜二の腕の中から抜け出している。
なかなか素早い。
「で、いったい何があったんだ」
司は竜二の隣に座り直して再度訊ねた。
いつのまにか脱がされかけていた服はすでに直してある。
司も、決して竜二の膝の上が嫌だという訳ではない。
むしろ心地良いから困る……と、そこまで考えて司は猛烈な勢いで首を振った。
いかん、いかん、こんなことでは頑固オヤジ(=竜二)の口を割らすことなどできない。
気合を入れ直して、きっと竜二を睨む。
なぜか一人で赤くなったり青くなったり、いきなり首を振り回したかと思えばこちらを睨んできたりと忙しい司を視界にとらえながら、竜二はどうしたものかと考えていた。
確かにここのところ、竜二は多忙を極めていた。
それはいつものことなのだが、少々やっかいな案件を抱えているのだ。
だが、竜二としては疲れを表に出したつもりはなかった。
実際、「いつも以上に」無理をしていると指摘してきたのは、司だけだ。
渋谷はもちろん、朝来や分家の親分連中にも気づかれなかったのだが……。
そこまで考えて、ちらりと司を見た。
相変わらず怒っている顔だ。
だが、誰にも見せなかった疲労をひと目で見破り、自分のために心配してくれているのがわかるから、竜二の頬は自然と緩んでいた。
「りゅ〜〜じ〜? なぁ〜に笑ってんだ!」
深刻な顔で悩んでいたかと思えば、こちらを見て笑う竜二に、司ははぐらかされていると感じたらしい。
「ええい、さあ、吐け。ちょっとくらい俺にもお前の負担を寄越しやがれ!」
怒りながら「負担を寄越せ」と言ってくる司に、竜二はもう笑いが止まらない。
人に心配されるということは、意外と気分がいいものだ。
もちろん、司だから、かもしれないが。
一方、くすくすと笑うばかりでまったく要領を得ない竜二に、司はとうとうキレた。
ゴツン!!
……司の見事な頭突きが炸裂した。
自らの額にもコブを作りながら、司は竜二に無言で返事を促す。
竜二はしばらく逡巡した後、ぼそりと、
「……お前には関係ない」
不機嫌そうにこれだけ言った。
司からは目を背けている。
拗ねた子どものような竜二の様子は、普段の司なら微笑ましいものと映ったに違いない。
しかし、今の司にはそんな竜二の表情は目に入っていなかった。
身じろぎもしない司を竜二が不審に思い始めたころ。
喉から絞り出すように司が口を開いた。
「それは……俺じゃあ……頼りにならないってことか? 俺なんかにはお前を心配する権利もないのか?」
心なしか、声は震えている。
いつもと違う司の様子に、竜二もはっとして言い返した。
「それは違う」
「じゃあ、なんで事情くらい話してくれないんだよ!? ……あの時、メガフロートで、『これから先、俺の弱音聞かせんのはお前だけだ』って言ってくれたのは、あれは嘘かよ? 俺は……」
気が高ぶって、司の眼にはうっすらと涙がたまっている。
言葉も最後まで言えていない。
そんな司に竜二の方が焦っていた。
「お、おい、司……?」
「弁解」という行為を覚えなくていいような育ち方をした竜二は、こういうときに口が回らない。
「……っ、竜二なんかもう知らねえ。バッキャローーーーーー!!」
司は捨て台詞と竜二への拳骨を残して部屋を飛び出した。
竜二はそれをただ唖然と見送るしかなかった。
もしここに鴨島がいたら、即座に竜二へアドバイスをするか、自ら司に弁明しにいくというおせっかいを進んで焼くところだ。
が、しかし。
「……」
結局、一言も弁解できないまま、竜二はソファにもたれかかって天を仰いだ。
がんばれりうぢ!!
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