男たちの受難


≪第2話≫ ―― 彼女の言い分 ――



 バタン!とものすごい勢いで扉が開けられ……否、蹴破られた。
「「司!?」」
 見事にハモったのは九竜組組員の向日(むこう)信楽(しがらき)である。
 二人は今でも、寄ると触ると喧嘩するという犬猿の仲だ。
 しかし、ヤクザにヤクザな振る舞いをさせまいと指導に明け暮れていた司を目の敵にし、利害の一致をみて手を組んだ末に何度も司を襲った(が、まったく効果はなかった)という経歴の持ち主でもある。
 その後司が女でしかも『若桜の娘』であると知ったが、それまでの仲が仲だっただけに、今では九竜組でもそれなりに認められている司を特別視することなく、態度は以前と大して変わらない。
 ある意味、司にとってありがたい存在ともいえた。


「む〜こ〜う〜、し〜が〜ら〜き〜」


 険しい目つきで、なぜか会うなり凄まれたこの二人こそ不幸だった。
「げっ、司!? なんでこんなとこにいるんだ?」
 司の戦闘能力は身をもって知っている信楽は、咄嗟に身構えながら問いかける。
「おい。今俺たちは久しぶりに若いもん同士で飲んでんだ。てめーみたいな一触即発の危険人物はお断りだぜ」
 信楽よりも直接的に歯に衣着せぬ物言いをするのは向日である。
 九竜組三代目のお気に入りで戦闘能力も化け物級の司にこんな物言いをする向日に対し、その場にいた若い組員達は固まった。


(な、なんちゅー口の利き方を……!)
(向日の阿呆! お前のせいでこの場が戦場と化したらどうしてくれる)
(あぁ、やばい。坊主のあの顔は絶対怒ってるぞ)
(頼むから攻撃するなら向日たちだけにしてくれ)


 などという怒りとも懇願ともとれるさまざまな意見が湧き上がったが、しかしそれらが組員たちの口から発せられることはなかった。
 彼らとて、命は惜しい。


「……酒?」


 どす黒い気を纏い、見るからに機嫌の悪そうだった司が、ぽそりと呟いた。
「あぁ? 見たらわかるだろうが」
 相変わらず向日は苛々しているが、それでも律儀に答えてやるあたり、意外と人がいいのかもしれない。
 戦々恐々としている若い組員たちは固唾を飲んで成り行きを見守っていたが、司はそんな彼らを見渡し、恐るべき一言を紡ぎだした。


「俺も飲む」


「は?」
 組員たちの見事なハモりが木霊した。


* * * * *


―――『俺のいないところで、決して司に酒を与えるな』


これは、竜二が組員たちに出した布令(ふれ)である。


 尊敬する三代目のためなら、たとえ火の中水の中、三代目が白と言えば誰がなんと言おうと白である――という意識の組員たちも、これには首を傾げたものである。
――が、組の若い衆はこの後、身をもってその意味を知ることになる。


「……おい、向日」
「なんだ」
「どーすんだ、これ」
「俺が知るか」


 若い衆が飲み交わしていたその部屋は、ある意味惨状を呈していた。
「こ、こら、坊主! いい加減にしろ」
「あぁ〜〜、やめろ、やめさせろ。うわぁ、こっちに来るなぁ!」
「見てない、俺は決して見てないぞ! あぁ、三代目、お許しください〜」
と、そこかしこで悲鳴が上がっている。


 司はといえば、目が合った若い組員たちを片っ端から捕まえて後ろから抱きしめては、愚痴を零しているらしい。
 完全に酔っている。
 今も何人目かの犠牲者が出たところだ。
 いや、本人は自分の話を真面目に聞いてくれない組員たちを取り押さえているつもりなのだ。
 が、暑いからといって胸につけたプロテクターを外し、シャツの胸元をはだけ、上気した頬と潤んだ瞳で擦り寄ってくる司の『攻撃』は健全な若い男たちにとっては拷問にも等しいものであった。


(こ、これは、三代目への忠誠と男の理性を試しているのか〜、そうなのか!? あぁ、俺は三代目のためならどんな試練も乗り超えてみせます!)


と、もう正常な思考回路すら崩壊気味である。
 何とか司を取り押さえようとするが、そんなことが簡単にできれば苦労はしない。
 司の攻撃(?)から身を守るべく部屋の隅に移動した信楽と向日は、目も当てられぬ若い衆の惨状に絶句している。
「……おい。俺は『司に酒を与えるな』という三代目の慧眼に改めて尊敬の念を覚えるぞ」
「慧眼なんて言葉をよく知っていたな、信楽」


 バコッ!!


「痛ぇ! 信楽、てめー、何しやがる!」
「真面目に聞きやがれ、この阿呆!」
「うるせえ! てめーに言われるまでもなく、三代目はすげーに決まってるだろうが!」
 そう言い合っている間にも着実に司の犠牲者は増えていく。
 こちらこそ一触即発かと思われた向日と信楽がふと我に返って部屋を見渡すと、死屍累々とした部屋の中で、正気を保っているのは自分達だけだった。
 当然の結果として、司と目が合う。


――束の間の沈黙に、男たち二人はごくりと喉をならした。


「ま、待て。司。落ち着け!」
「そうだ! そこでじっとしてろ、いいな!」


 人生最大の難敵にでも遭ったかのように嫌な汗をかきながらも、強気の姿勢で二人は無駄な説得を試みる。
 しかし、胸の谷間も露わにしたまま、異常に艶を撒き散らしている司ににっこりと微笑まれ、そんな強気は一瞬で吹き飛んだ。


(ドキッ、てなんだ、俺の心臓! 相手はあのガキだぞ。落ち着け、落ち着くんだ!!)
と信楽がこれまでになく必死な形相で己の心と葛藤する一方、
(ええい、クソ! 司のくせになんちゅー色気を出しやがる! ビール一杯くらいで酔ってんじゃねーー)
と向日は八つ当たり気味だ。


 二人が狼狽の極みに達している間に、いつの間にか間合いを詰めた司は、そんな二人の様子を不満そうに眺め、あっというまに向日を羽交い絞めにしてしまった。
「む〜こう〜! おーまえらも、おれのことたよりないとかおもってんのかぁ? りゅうじはなぁ〜んもいってくんねえし、すぐにだきしめたりきすしたりすけべなことしようとするし、でもそれはそれでべつにいやじゃねーけど、じゃなくておれはなんにもしてやれねーのかぁ」
 だいぶ口調が怪しい。
 そして、ところどころ、聞いてはいけないようなことも混じっているような気が……。
 いやいや、気のせいに違いない。
「りゅうじはバカだし、ここの組員たちも、おれのはなしなんか聞きゃしねーし……。あぁ〜、やっぱりりゅうじがバカなのがぜんぶわるい!!」
「おいコラ! いくらお前でも三代目を悪く言うのは俺が許さねえぞ」
 首を絞められてもがきながらも律儀に反論する向日に対して司はふんと鼻を鳴らし、今度は信楽を標的(ターゲット)に定める。
「げっ! こ、こら、司! じっとしてろ!」
 これで本当に酔っているのかと疑いたくなるほど、司の動きは素早かった。
 あっという間に、羽交い絞めにされた信楽はその腕から逃れようと必死にもがく。
「なんだよ、しがらきまでおれのことどうでもいいとかいうきか!?」
「ええい! 誰もそんなことは言っとらんわ! いいから離せ」
 信楽の言葉に納得したのかどうかはわからないが、司は彼を締め上げる力を弱めた。 
 向日も信楽もしばらくむせたあと、ぎろっと司を睨んで吼えた。
「……ってぇな。くそ、このガキ、もう我慢ならねえ」
 さきほどまで司の色気にどぎまぎしていた二人だが、今は締め上げられた屈辱により額に青筋を何本も浮かべている。


「「やっちまえーーーーーーっ!」」


 キレた二人を止めるものは、もう何もないと思えたその時――。


「んー、りゅうじぃ……」


 そう言いながらとった司の行動に、今まさに殴りかかろうとしていた二人は同時に、それはもう見事に固まった。
 信楽はこの世の終わりのような顔をし、向日にいたっては魂魄が口から出かかっている。

 向日が振り上げた拳をするりとかわした司は、こともあろうに自分の両腕を向日の首へとまわしたかと思うと、その頭を抱きしめるようにして寝息を立て始めたのである。
 最後にして最大の犠牲者と成り果てた向日に、珍しく同情を禁じえない信楽は、しかし、次の瞬間この世の終焉を告げられることになった。


 後になって、彼は言ったものだ。


「あの日の最大の犠牲者は、間違いなくこの俺に違いない」





司坊のお色気攻撃(笑)
さて、誰かさんの反応が怖いですね〜(他人事)


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