寝ても覚めても


≪後編≫



「守門さん? 起きてる? 言われた所にそろそろ着くよ」
「んん……」
 飲み会は午前零時を過ぎてやっとお開きになった。
 解散後タクシーを拾い、半分以上夢の中の朝来を送っているのはもちろん上原である。
 その朝来のうわ言を頼りにやってきた場所は、高級マンションが立ち並ぶ一角だった。
 見上げると首が痛くなるほどに高い建物が、雲ひとつない夜空に向かって伸びている。
「守門さんって、実はお金持ち?」
 聞いても返事は返ってこないとわかってはいたが、上原は目の前の高層マンションを見上げながら少し呆れたように呟いた。
「――よっと。ほら、ちゃんと立って」
 朝来は上原の肩にほぼ全体重を預けるような体勢になっている。
 ほとんど朝来を引きずるように歩いている上原は苦笑しつつ、それでもふんわりと良い香りのする朝来の髪の毛を頬に感じながら満更でもない気持ちだった。


「で? 何階?」
「ん、え、あ……。もしかして着いたの?」
 思わず上原は笑う。
「さっきからそう言ってるよ。ここまできたらちゃんと送り届けるから、何階か教えてもらっても良い?」
「えぇと、でも、もう大丈夫よ?」
 まだ完全に覚醒していないのだろう。眠そうな顔をしながらこてんと首を傾げる朝来は、さすがの上原もちょっと凶悪な気分になってしまいそうになるほど可愛らしい。
(守門さんて、意外と無防備だよなぁ……)
 内心そんなことを考えながら、上原は首を振った。
「全然大丈夫じゃないじゃん。今だって一人で立ってられないでしょ。まあ、警戒する気持もわかるけど、何にもしないからさ、とりあえず部屋にきちんと入るところまでは確認させてもらえると、俺も安心だからさ」
 なぜかまったく頭が働かない朝来は、とくに深く考えずに肩をすくめて階数を呟いた。
 が、後になって、どうしてこのときに無理にでも見送りを断らなかったのかと、朝来は深く反省することになる。


 エレベーターの軽快な音が鳴ると同時に、両開きの扉が静かに開く。
 上原は今にも眠りに落ちそうな朝来の腰に腕を回して支えながら、その細さに驚く。
 強く抱き締めれば折れそうなくらいに細い肢体に、白いうなじ。ふわふわと波打つ色素の薄い髪の毛の間から見えるのは、上気した頬と今は半分ほど閉じられている大きな瞳。
 少しだけ開いた唇は桜色で、思わず凝視してしまう。


 深夜の、誰もいないマンションの通路。
 夜の喧騒からも隔絶されたようなこの場所で、隣にいるのは無防備で華奢な少女である。
「…………」
 それは意識したわけではなかった。
 ただ、至近距離で目に飛び込んできたつややかな桜色に、思わず引き寄せられたのだ。
 もちろん、下心がまったくなかったのかといえば、それも怪しいところではあったのだが。
 上原の顔が、朝来のそれにそっと近付く。
 そして、唇が触れ合う直前。


「――おい」


 良く響く低い声に、上原は思わずびくりと肩を震わせた。
 同時に朝来から瞬時に距離を取る。――とはいえ、肩を貸しているので顔を背けただけであったが。
 そして驚いたように振りむいた先にいた人物を見て目を見開いた。
「え、と……」
 なぜか狼狽の声が口からこぼれる。


「で?」
「はい?」
 一文字だけの問いかけに、思わず妙な返事をしてしまった上原は、自分の目の前に立ちはだかる男を改めて見上げる形になった。
 めったにないほどの長身に、短く刈った髪、頬には薄く傷があり目つきは悪く態度は尊大。
 絡まれたくない人物の筆頭に挙がりそうなその男は、上原の隣の少女を見て軽く目を見開いた。
 わずかに息を吐いて、再び上原に視線を合わせた。
「……まず、腰に回してる手をどけて、とりあえずそいつを渡せ」
 抑揚のない声なのに、なぜか大変な殺気が混じっている気がして上原は固まった。
 見知らぬ、しかもどう見ても善人そうではない男が、朝来を渡せと要求しているのである。
 ここではいどうぞと渡せるほど、上原はめでたくはないが、かといって拒否すると大変な目に合いそうな予感がするのだ。
 そんな上原の葛藤をよそに、男はあっと言う間に上原の腕の中から朝来の身体を引き離した。


「えっと、守門さんのご家族……ですか?」
 やっとのことで上原は男にそう確認した。
 男はにやりとして答える。
「そう見えるか?」
(いいえ、まったく)
 返事は心の中だけに留めた。
「まあ、家族ではないが、よく知る仲だ」
 そう言った男の言葉に対して、上原は無意識に眉を寄せていた。
 その正直な反応に、男が肩を揺らしたのがわかった。
「信じてないな。だが、こいつが言ったのはこの部屋の番号なんだろう」
 そう言いながら男が顎で示した部屋は、三人がいる通路から一番近い所にあった。
 部屋の番号は、確かに先ほど上原が朝来から聞き出したものと一致する。
 無言で見上げてくる上原に軽く肩をすくめて、男は朝来を片手で抱きながら慣れた仕草でその扉を開けた。
 ガチャリというその音が、やけに廊下に響く。
 不意に、男の腕の中にいる少女が身じろぎした。
「ん……」
 なぜか息を詰めるようにして上原はその光景を見詰めていた。
「あ、れ……? 嵬?」
「よう、お目覚めか」
 男の逞しい左腕に座るように抱かれている朝来は、鼻先が触れそうなほどの至近距離で男と会話している。
 頬が先ほどよりも染まっているのも気のせいではあるまい。
「仕事……終わったの?」
「ああ、今帰ってきたところだ。で、あんたは今までどこで何をやっていたんだ?」
 問い詰めるような口調の男に対して、朝来は拗ねたように頬を膨らませた。
 どちらかというときつい印象のほうが強い普段の朝来からはちょっと想像しにくくて、見ていた上原はなぜか内心で慌てた。
「何って……飲み会に行ってきただけよ。で、ちょっと飲んで、上原君に送ってきてもらって――って、上原君?」
 ここにきて、ようやく朝来はすぐ近くに上原がいることに気がついた。
 男――宗像に抱きかかえられる体勢のまま話続けていた朝来は、視線の先に目のやりどころに困る上原を見つけて狼狽した。
 そんな朝来にはかまわず、宗像は上原に声をかける。
「つーことで、こいつと俺が『よく知る仲』なのはわかったか」
「ええ、よーくわかりましたよ。じゃあ、きちんと送り届けたし、俺は帰るよ。またね、守門さん」
 にやりと人の悪い笑みを浮かべる宗像を受け流し、上原は朝来に笑いかけた。
 なんとなく気まずい思いを隠して、朝来も笑顔を返す。
 お酒のせいか、いつもより素直に言葉が出てきた。
「あ、ありがと。わざわざ送ってくれて」
「まあ、慣れてるからね。今度はもうちょいお酒控えて話ができるといいね」
「そうね。もうお酒は控えるわ」
 そう言って笑う朝来は無邪気で、上原は眩しそうに目を細めるとくるりと背を向けた。
 が、不意に後ろから肩を掴まれた。
 振り向こうとして、耳元でささやかれた言葉に固まる。


「今回は未遂だから見逃してやるよ」


 上原が振り向いたときには、宗像は朝来ごと扉の奥に消えるところだった。
「ふぅ……」
 なぜかどっと疲れが身体にきたような気がする。
 わざわざ聞かなくともあの二人の関係など想像できるが、心臓に悪い。
 いや、確かに朝来に手を出しかけた上原が悪いと言えば悪いのだが、あの男の人の悪い笑みを見ていると、あのタイミングはむしろ狙ってきたのではないかと勘繰りたくなってくる上原だった。
 とりあえず、朝来とは当分良い友達でいるのが得策だろうと現実的な上原は考える。
 そして、飲み会でやたらと朝来に絡んでいた友人がこの場にいなくて本当に良かったと心底安堵して、そんなことを考える自分に少し笑えた。


 こうして長いようで短い夜は更けた。
 もちろん、朝来にとってはこれからが長い長い夜になることは間違いなかったのだが。





最後までお付き合いいただいありがとうございます。遅くなりましたが後篇完結です。
う〜ん、ほんとは宗像氏が殺気ギラギラで威嚇しまくるシーンを想像していたのですが……。
そして上原をもっと不憫にしたかった(オイ) イタイケな少年に対して余裕の宗像氏。でも、内心はそう平静でもないと思うのです。だから最後に釘を刺すことも忘れないw
ただ、彼は少年をいじめるよりも朝来さんをいじめるほうが好きですからね。
部屋に入ってじっくり(?)楽しむに違いない(笑)
部屋の中での二人の様子はおまけで書こうかな(むしろそっちがメインか…?)


▼オマケへ