バカップルな二人のお題
5. 口移しなんて当たり前?
「……おい。これはもしかして、カレー……なのか……?」
呟く宗像の前には、大皿に乗ったカレー……らしきものがある。
ご飯…は普通だ。紛うことなき白米である。
問題はルーの方だ。サラサラした液状のそれに一般的な日本の家庭的カレーのとろみ具合など望むべくもなく、不ぞろいにしかも異様に大きく切られた野菜類が見事な不協和音を奏でている。
色も薄い。一見するとご飯に野菜スープをかけただけの何だかよくわからない代物だ。
間違っても、夕食のメインディッシュとして出されるようなものではない。
宗像の呟きも当然と言えば当然だった。
むしろ、そんなものをひと目で「カレー」と看破する宗像の洞察力こそ驚嘆ものだというべきか。
しかしこれまた当然のごとく、そんなことを言われた朝来はうれしいはずもなく。
「嫌なら食べなくていいわよ! そりゃ、ちょっと、見た目は悪いかもしれないけど……」
語尾がフェードアウトするようになったのは、朝来にも自分の作った料理があまり美味しそうには見えないことがわかっているからだろう。
「ちょっと」か……? と宗像は内心つっこむ。
カレー皿から視線を上げて朝来の様子をうかがうと、頬を膨らませてぷいと顔を逸らしているのにどこかそわそわしていて落ち着きがない。
口では強気だが、本当は宗像の反応に不安と期待をこめて神経を集中させている――といったところだ。
そこまでわかっているのに、朝来をむやみに不安がらせるのは宗像の本意ではない。
というか、文句は言っても最初から食べないという選択肢など持ち合わせていないのだ。
宗像は黙って「カレーらしきもの」を口に含んだ。
「…………」
「…………?」
「……うまいじゃねえか」
宗像は驚いた。
そう、美味しかったのである。この見てくれでどうしてこんな味が出せるのかという疑問は湧いたが、これはこの際脇に置いておくことにする。
そんな男の言葉に安堵の吐息をこっそり洩らした朝来は、しかし聞き捨てならないというように視線を戻した。
「なんだか、『予想外に食べられるものだった』的な妙な驚愕のニュアンスが含まれているような気がするのは気のせいかしら」
「以心伝心だな。そんなに俺のことを思ってくれてるのか」
「ばっ!……違うでしょ! どうしてあんたはいつもそうやって自分のいいように人の言葉を解釈するのよ」
「誉め言葉を素直に受け止めてどこが悪い」
「だから、誰がいつあんたを誉めたのよ?」
「ちがうな。俺が、さっきお前を誉めたんだ」
「は?」
突拍子もないことを言われたように、朝来は間の抜けた返事をする。
そんな朝来に宗像は意地の悪そうな笑みを向けた。
「うまいぜ。これ」
そう言って、スプーンを持ったままの右手でその下の「カレー」を指差した。
朝来はものすごい速さで顔を背けたが、今度は怒っているわけではなさそうだ。どんな顔をしているのかは見なくても想像がつく。
宗像はそんな朝来を視界に捉えつつ、意外とおいしい食事を続けようとしてふと気づいたように問いかけた。
「お前はもう食べたのか?」
突然の問いかけに、なぜかあたふたしながら朝来は答えた。
「わ、私はそんなにお腹すいてないからいい!」
朝来としては、なんだか気恥ずかしいような居たたまれないような複雑な心境から出た本心だったのだが、宗像は納得しなかった。
「いいわけあるか。まあ、見た目はあれだが、これもけっこうイケるぞ。食え」
なぜかえらそうに命令してくる。
そもそも、作ってくれた人間に対して言う台詞ではない。
本当に食べる気がしなかったのと、宗像の遠慮のない言葉に、朝来が反論しようと身を乗り出したそのとき。
ムギュ。
叫ぶために開いた口の中にカレーが押し込められた。
仕草だけみれば、「はい、あーん」状態である。
が、動作の主体が顔に傷をもつ人相の悪い大男で、客体がほっそりとした小柄な少女である点が不似合いを通り越して異様であった。
「な? うまいだろう」
固まる少女に対して男はにっこりと(正確にはニヤリと)笑う。
まるで自分で作ったかのような自慢げな物言いだ。
一方で、照れたりいじけたり怒ったり固まったりしている朝来を見ていると飽きないし面白いと、その顔には書いてある。
(どうしてこの男はこうむかつくのかしら……)
宗像が朝来で遊んでいるのは確かだが、言っている内容は朝来の手料理への誉め言葉だ。
遊ばれていることに不満を抱きつつその言動すらもいいように解釈してしまう自分をごまかすように、朝来は目の前の男に不満の目を向ける。
そして憮然とした表情で座りなおし、口内のものを咀嚼して飲み込んだ。
「当たり前よ。私が作ったんだから」
あんたのために、とはもちろん口には出さない。
そんな朝来の内心を知ってか知らずか、宗像は笑みを深めた。
その後、朝来も少しだけ食事を取った。
それから何をしたのかというと、別に何もしなかった。
リビングでテレビを見たり、雑誌を読んだりしているうちにいつの間にか時間は経ち、ふと時計を見やると11時を回っていた。
さすがに泊まることには躊躇を覚えた朝来がそろそろ帰ろうかと思って宗像を探す。
その時ばたんとドアが開く音がした。
「ふ〜」
タイミングよろしく現れた宗像は、上半身裸で白いタオルを肩からかけ、肌からは湯気を立ち昇らせていた。
誰がどう見ても風呂上りである。
「ちょっとあんた! 服くらい着なさいよ!!」
顔を背けたままで朝来が叫ぶ。顔は耳まで赤い。
「風呂上りに服なんか着るかよ。下をはいてやっただけでもありがたく思え」
予想通り、朝来の非難などどこ吹く風というようにな無駄に尊大な言葉が返ってくる。
朝来はといえば、それなら普段の宗像は何も着ないのかという思考から始まりその姿まで想像しそうになって慌てて首を横にぶんぶんと振った。
「……そんなに頭振ってると馬鹿になるぞ。いいから、お前も入って来い」
「馬鹿」という言葉に反応しそうになった朝来は、しかし続いて言われた言葉を理解するのに数瞬かかった。
「……なんで?」
宗像の言葉は朝来にも風呂を勧めているように聞こえる。
風呂なんかに入っていたら帰るのは真夜中になってしまう、という朝来の無言の問いかけを宗像は正確に理解し、そして深いため息をついた。
「お前なぁ。もしかして今から帰るつもりだったのか?」
問われた朝来は当然といったように頷く。
「…………」
宗像はなんでこんなことを説明してやらねばならないのかと盛大な不満を述べたかったが、小首を傾げる朝来を前にそれはできない。
いまひとつ息を吐き、いつもの不敵な笑みを湛えてゆっくりと言い聞かせるように言葉を継いだ。
「泊まっていけよ、と言ってるんだが?」
それを言われたときの朝来の顔こそ見ものだった。
訝しむような疑問の顔は一瞬だけ。それはすぐさま驚愕に変わり、ついで顔中を羞恥に染め、 それから何を思ったのか喜色と不安をない交ぜにしたような複雑な顔で下を向き、 最後には怒っているのかと勘違いしそうなほど険しい表情できっと睨み返してきたのである。
しばらく無言で朝来の百面相を観察していた宗像は、朝来と目が合ったことでやっと口を開いた。
「で?」
簡潔な問いかけ。
朝来は一瞬の間を置き答えた。
「泊…まるわ」
宗像はひどく機嫌が良かった。
風呂から上がった朝来が、大きすぎる(宗像仕様なので当たり前)シャツを着ただけの姿で出てきたときには、 ソファに座ってウィスキーを前に気前よくグラスを傾けるくらいには。
なにせ今日はほとんど計画どおりに事が進んでいるのだ。
もちろん、その「計画」が朝来にいろいろ手を出すことであるのは言うまでもない。
そんなこととは露知らず、風呂から出た朝来は濡れた髪をタオルで拭きながら、ぎこちない動きで宗像の傍に座った。
緊張しているらしい。
宗像はそんな朝来の様子に苦笑する。
(ずいぶんと警戒されているらしい)
とはいえ、ここはいわば宗像のホームグラウンド。いくら警戒しようが抵抗しようが、朝来に逃げ場はないので宗像は余裕を崩さない。
しかし、いつまでも強張ったままいられるのは少々やっかいであることも確かである。
宗像は少し考え、すぐに口の端を持ち上げた。
(よからぬことを考えてる顔だわ……)
宗像の表情の変化を目ざとく見つけた朝来は一層身体を固くした。
が、そんなささやかな朝来の行動は次の宗像の見事な体捌きにより意味をなくした。
「ちょっと! 何すんのよ」
本日二度目の宗像の膝への横座りである。
さすがに最初のときほど狼狽はしないが、シャツ一枚という格好が朝来に過剰な反応をさせていた。
「そうぷりぷりするなよ。ほれ、酒でも飲め」
警視庁の特殊班GRAVEの人間とも思えぬ発言である。
「あんた、何考えてんのよーーー!」
朝来の絶叫も無理ないが、宗像はその瞬間を見逃さなかった。
「――――っ」
「うまいだろう?」
朝来の唇についたウィスキーの雫をペロリと舐めながら宗像が耳元で囁く。
この台詞も二度目だが、果たして朝来の耳に入ったかどうか――。
宗像の口に含まれた透明な酒は、一滴残らず朝来の口へと移されていた。
もちろん、直接。
朝来には味などわからない。
それよりも、一滴も零さないように、ゆっくりと深く侵入してきた男の唇の感触が離れない。
唇を舐められれば、びくっと肩が揺れる。
ほてるような熱さとしびれるような感覚はきっとアルコールのせいだ。
そう、もっとその感触を感じていたいと思うのも、強すぎる酒のせいだということにする。
朦朧とする意識の中で、朝来が最後に囁いた言葉は、彼女自身の記憶にはとどまらなかった。
* * * * *
「…………」
宗像は珍しく絶句していた。
緊張しすぎて固まっている朝来をちょっとからかってやろうと思っただけだったのだが……。
「どうして、この状況で寝るんだ……」
疲れたような呟きが思わず洩れる。
一瞬の隙をついて酒をほんの一口含ませた…までは良かった。
しかしそのせいか、はたまた口移しのせいかはわからないが、 朝来が頬を紅潮させ光沢のある唇を震わせて囁いた言葉のせいで、ほとんど理性の箍をはずしかけた宗像は、 再び重ねようとした唇から規則的な寝息を聞きつけて一気に脱力したのだった。
(どこまで俺を振り回すんだ、こいつは)
朝来ならずも聞いた人間誰もが即座に反論しそうな感想を抱いて、宗像は朝来の身体を寝室へと運んだ。
気持ち良さそうに眠る朝来の頭をなでて、そっと息を吐く。
――次は酒は飲ませないようにするか。
今回の教訓(?)を活かして、この男が次なる行動を開始する日が来るのは、そう遠くないと思われる……
ありがとうございました!
いきあたりばったりのお題、一応完結です。
すみません、最初から最後まで思いつきで書いたため、一体何が言いたいのか自分でもわかりません(オイ)
まったく脈絡のないお話になっちゃいました。
まあ、朝来と宗像氏を単に絡ませたかっただけです、ハイ…
とりあえず、宗像氏にはおあずけをくってもらいました(笑)。でも彼にもオイシイ部分はあったハズ…
「次」(があるかどうかは不明ですが)に頑張ってもらいましょう。
▼おまけへ