ひとつ屋根の下に贈る5つのお題


2. ぎりぎりの境界線



「……あ〜あ。司坊、怒っちゃいましたよ。いいんですか?」
 俺の斜め後ろを歩く渋谷が、遠くから響いた司の叫び声を聞きながら言った。
 俺は少し考えて答えた。
「なぜ司が怒るんだ……?」
「三代目のことが心配なんですよ」
 それはわかっている。しかし……
「それにしては妙にトゲがあったぞ?」
「……あー、それはたぶん……」
 渋谷がなぜか苦笑交じりに口を開いたところで、渋谷の携帯が鳴った。
「っとと、はいはい。」
 慌てて通話ボタンを押す渋谷を横目に、俺は廊下を渡り、玄関から庭に出た。
「いってらっしゃいまし、三代目!」
 ドスの利いた、複数の太い声が木霊する。
 ひと癖もふた癖もありそうな人相の悪い下足番衆の男たちが、玄関から門までの通路の両脇に一列に並び、皆一様に腰を落として控えている。
 九竜組では特に珍しくもない光景、礼儀《れい》入れによる見送りだ。
 いつも熱心なことだと思いながら、両端からちらちらと注がれる妙に熱い若い衆の視線は無視する。
 俺は普段と同じペースで門前まで歩き、用意された黒塗りの車へと乗り込んだ。
 なんだかよく眠れなかったせいか、いつもより疲れが身体にきている。
 車を運転する渋谷が話すのを聞き流しながら、俺はその原因を思い出していた。

* * * * *

――二日前の晩。

 俺は深夜に仕事を終え、いつものように司の部屋を訪れた。
 もちろん鍵はかかっているが、なにせここは俺の屋敷だ。そんなものでは足止めにもならない。
 ベッドの中の司は規則的な寝息をたてて眠っていた。
 寝相が悪いのが玉に瑕ではあったが、こいつの体温を感じながら眠る心地よさに比べたら些細なことだ。
 慣れた手つきでするりと布団の中にもぐりこみ、司を抱き寄せる。
「んん〜」
 くぐもった声を出しながら、司は(起きているときには想像できないような)甘えた仕草で俺の胸に頬を擦り付けてきた。
 およそ「女の子らしい」行動に縁がない司の、(たとえ無意識であろうとも)時たま見せるこういう攻撃に俺は弱い。
 しかし、せっかくのオイシイ機会であるので、存分にそれを味わおうと顎を引き寄せ唇を近づけたところ……
「竜のばかぁ〜〜〜〜」
 突然司が涙交じりの声を上げた。
 ぎょっとして顔を覗き込むが、相変わらず寝息が聞こえる。
 驚かせるなよ、と内心つっこみながら再度手を出そうとすると、再び、
「ヤだぁ〜〜…」
と司。
 再びギクリとして様子を窺い、気を取り直してもう一度はじめから……という動作を根気強く何度も行うという行動をしてしまった。
 結局、司の涙を見ると未だにどうしていいかわからなくなる俺は、仕方なく己の欲望を抑えることにしたのだが――。
 そんな男の努力をあざ笑うかのように、寝ている司は身体中から色気を発散させるのだ。
 胸に頬を寄せるくらいならまだいい。
 腕を背中に回し、抱きしめてくるのもいいとしよう。
 だが、俺の頭を胸の谷間にうずめたり、耳元で甘く(寝言を)囁きながら両脚を絡めてくるのは、もう誘っているとしか言いようがないだろう。
 そのくせ、俺から何かしようとすると泣いて嫌がるか鉄拳を食らわせるかのどちらかである。本当に寝ているのかと疑ったのは一度や二度ではない。
 この状況は非常に捨てがたいが、はっきり言って身が持たない。
 だいたいあいつは、俺のことを好きなくせに起きているときには「こういうこと」は一切してこない奴なのだ。
 むしろ嫌がっていると見たほうがしっくりくるくらい、手を出す俺への制裁には手加減が見られない。
「まったく、こいつは……」
 司の枕元で洩らした俺の呟きは、しかし誰に聞かれることもなく夜の帳に消えた。

* * * * *

「お疲れ様です。三代目」
 会合を終え、屋敷に戻って一息ついている俺に、渋谷が茶を差し出した。
「……司は?」
「まだ戻ってきてないみたいですね」
 間髪入れず返ってきた言葉に沈黙する。
「…………」
 まあ、予想通りの返答ではあるが……。
 司の不在は面白くない。眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。
 そんな俺に、渋谷がなぜか可笑しそうな、仕方ないといったような表情を向けている。
「三代目、昨日は司坊の部屋に行かなかったんですか?」
「ああ……ちょっとな」
 渋谷の問い適当に誤魔化す。
 本当は昨日も司の部屋へ行こうと思ったのだが、一昨日の晩の出来事が脳裏をかすめて二の足を踏んだ末自室に戻った、とはさすがに言えない。
 渋谷は気にした様子もなく続けた。
「司坊のやつ、朝からそわそわしてましたよ」
 そわそわ? 意味がわからず少し首を傾げた。
「司が? 何かあったのか?」
 年がら年中きらきらしたりくるくるしたりそわそわしたりと忙しい奴ではあるが、わざわざ渋谷が言うほどである。気にならないと言えば嘘だ。
「いえいえ。最近、三代目が司坊の寝所にもぐりこまない朝は、司坊、なぜかいつも早起きで落ち着かないな、と思ったまでです」
 渋谷がしれっと言った言葉は、聞き捨てならないものだった。
 その言葉の意味を頭の中で噛み砕く。
「……ほう」
 思わずニヤリと口角が上がる。
「なるほど。それで今朝のあの態度か」
 それなら昨日も遠慮なぞしなけりゃ良かった。
 そんな感想は口には出さず(しかし多分に顔に表れている)、ふむふむと一人で納得する。
 仕事による疲れや、司がいないことに対する不満はいつの間にか薄れ、俺の頭の中にはこれからの計画が高速で組み上げられていた。
「三代目。非常に楽しそうな思索中大変申し訳ないんですが、取引先から連絡が入ってます」
 俺は緩んだ頬を一瞬で引き締め、通話画面のボタンを押した。


 どうやら今夜は、良く眠れそうである。





生殺しりうぢ(笑)逆襲なるか!?
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