甘やかな3つの願い
1. このひと時が壊れないように、そっと
竜二はふと時計を見上げ、傍らにいた渋谷に声を掛けた。
「司は?」
何種類かの書類をチェックしていた渋谷も顔を上げ、軽く首をかしげながら答える。
「今日は実家の方に帰ってるはずです」
言われて思い出した。
そういえば今朝見た司は、いつにも増して浮かれていた気がする。
週末の家族との団欒がうれしくて仕方がないという雰囲気がビシバシと伝わってきていた。
「……そうだった、な」
一言呟いて、眉一つ動かさず、竜二は手元のパソコン画面に視線を戻して仕事を再開した。
(……三代目、かなり残念がっているな)
横目でちらりと竜二の様子を盗み見た渋谷は、一見無表情、無感情に見える竜二の鋼顔からその心境を正確に読み取った。
竜二の表情を読むことは長年側近をしてきた中で培ったワザである。
「――三代目、こちらの書類に目を通していただければ今日のところは終了です。最近あまり休んでいないみたいですし、今夜は早めに眠ったらどうですか」
「……そうだな」
珍しく素直に頷いた竜二の態度に渋谷はほっと息を吐く。
まったく、組のこととなると自分を後回しにするこの三代目を司以外の人間が休ませようとするのは至難の業なのだ。
(やれやれ、ここに司坊がいれば言うことはないんだが)
そんな独白をする渋谷に気を止めることもなく、竜二は仕事を終えるとそのまま自室へと向かった。
「…………」
自室のソファにいるはずのない人物を認めて、竜二は一瞬固まった。
「司?」
呼びかけに応えないことは予想済みだ。
司はソファの肘掛に頭を乗せて横になり、すやすやと規則正しい寝息を立てているのだから。
竜二はソファの傍らに立ち、そっとかがんで司の柔らかな黒髪へと指を差し入れた。
「ん……りうぢ……このやろぉ〜…」
なぜか眉間に皺を寄せて司が訳のわからない寝言を呟いた。
竜二の目に穏やかな光が湛えられる。
大きな手は髪から頬へ移動し、頭を両手で挟む形にして司の額へ唇を近付けた。
ちゅっと軽い音をさせると、司がまた寝言を洩らす。
どうやら熟睡しているらしい。
普段は野生動物の如き感覚の鋭さを発揮する司も、竜二の傍では安心しきって眠っている。
その事実が竜二の頬を緩ませる。
竜二は仰向けに寝ている司の首と膝の裏に腕を差し込んで、ゆっくりとその身体を持ち上げた。
(軽いな)
こうして抱き上げると司の細さがよくわかる。
けっして痩せすぎてはいないが、筋肉質というわけでもない。
この身体のどこに鬼神の如き戦闘能力が眠っているのか。
不意にメガフロートでの司とフレイアの戦いを思い出して竜二は眉をひそめた。
もうすでにそのときに負った傷は治っている。
自分のベッドの上に司を横たえた竜二は、その脇に腰を下ろして司の右手をとった。
(小さい)
細く形の良い指が竜二の手を軽く握り返す。
この小さな手をフレイアの武器は貫いた。手だけではない。肩も、足も。
「あんまり、無茶をするなよ」
誰に聞かせるでもなく、竜二は独り言のように呟いた。
傍にいるのに司を助けてやれないという経験は一度で十分だ。
危険から遠ざけることは、一緒にいる限り無理だと知っている。
だからせめて、司の身は自分が守ると誓った。
『ボディガードは俺の方だ!!』と盛大に文句を言われるだろうから、本人には決して言わないが。
「んん〜〜……」
寝ている司が再び呻いた。
そのまま竜二が座っているのとは反対側の方向へと身体の向きを変えようとしている。
竜二はすかさずその肩を掴み、ほとんど無理矢理こちらを向かせた。
ころんと転がるように横を向いた司の口が、ほんの少し開いている。
まるで誘うようなその唇に、竜二は自分のそれを重ねた。
最初はただ重ねるだけで一度離れ、今度は角度を変えて深く口付ける。
司が息を吸えるように気を配りながら、それでも次第に熱を帯びていくのは止められない。
歯列をなぞり、口内を弄り、司の舌を絡め取る。
深く、浅く。激しく、軽く。
司の息がだんだんと荒くなってきたところで、竜二はその行為を止めた。
(……これでも起きないのか……)
さすがにここまでしているのに起きないというのはどうなのだろう。
せっかくの据え膳だが、竜二とて寝込みを襲うような趣味はない。
ここで止めるのは少々残念な気がしたが、とりあえず、気を取り直すために息を吐いた。
「次はどうなるか知らねえぞ」
聞いているはずもない相手にぼそりと忠告し、竜二はその場を離れた。
穏やかな、心休まる時間。
もちろん、甘く、熱く、激しい時間も大歓迎だが、こういうひと時も悪くない。
シャワーを浴び、司を抱いて眠りについた竜二は、ここ最近では珍しいくらい深い眠りに落ちた。
その日は、とても、穏やかな夢を見たような気がした――。
久しぶりの竜二×司。穏やかな時間というのは竜二にはあまり縁がなさそうですな。
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