甘やかな3つの願い


2. 嘘も真実も声も言葉も、全部呑ませて





「え〜司帰っちゃうの?」
 司の弟、昭平が不満の声を上げた。
「なんだ、司。泊まっていかないのか?」
「え。司、帰るの?」
「司くん……どうして……?」
 詫間が驚き、季之も意表を突かれたような顔をし、加悦に至っては至極心配そうな顔を向けてくる。
「ハハ……まあ、なんとなく」
 ただ泊まらないと言っただけなのに、そこまで驚かれるとは思わなかった司は微妙な笑いでその場を誤魔化した。

 そう、今日は週に一度の家族団らんの日だ。
 朝から浮かれ気分だった司は学校が終わるとすぐに実家に直行した。
 加悦さんが作ったご飯を食べ、兄弟たちと(過剰な)スキンシップをし、託兄に怒られる。
 何も変わらない日常を心ゆくまで堪能していた司は、しかし、ふとした時にいつも竜二のことを考えている自分に気がついた。
(竜二は何してんのかな)
 考えるまでもない、九竜組三代目組長という肩書きを背負った竜二は、毎晩遅くまで仕事に精を出しているはずだ。
(ちゃんと飯食ってんのかな)
 そこらへんはたぶん渋谷あたりが手配するだろう。
(また、煙草吸いまくってんじゃねえだろうな)
 ……その可能性は大いに有り得た。
 なにせ今の九竜組に竜二を注意できるような人間はいないのだから。
(……あいつ、今一人かな)
 渋谷は傍にいるかもしれない。だが、夜はおそらく独りだ。
「…………」
 考え始めると止まらなくなった。
 お茶を飲んでいるとき、兄弟たちの話を聞いているとき、加悦と風呂に入っているとき。
 気がつけば、いつも竜二のことを考えていた。
(俺はこんなに楽しいのに、竜二は一人なのか……)
 そう考えると何だか無性に竜二に逢いたくなって、司は引き止める兄弟たちを何とか説得して九竜組の屋敷へと戻ることにした。


 ふいに、頭に大きくて暖かいものが触れた、ような気がした。
(あ〜竜二だ〜)
 竜二の部屋で本人が帰ってくるのを待とうとして、思わず眠ってしまった司は、夢の中でも竜二に会っていた。
 司の目の前にやってきた竜二はせっかく帰ってきた司の頬を容赦なくつねった。
「ん……りうぢ……このやろぉ〜…」
 せっかく待っていてやったのにこの仕打ちはどういうことだ!と、夢の中の竜二に仕返しを試みる。
 すると額に冷たく柔らかい感触。
 何かと問う暇もなく、次には自分の身体がいきなりふわりと浮いたような感じがしたので驚いた。
 そんな状態なら不安定になりそうなのに、なぜかそれは妙に心地よくて、顔がふにゃりと緩むのを抑えられなかった。
 しばらくするとその浮遊感は何か柔らかいものの上に降ろされることで消えた。
 残念。気持ちよかったのに。
 そんなことを思いながらも司は徐々に、夢現の状態から抜け出しつつあった。
 だんだんと浮上する意識を自覚しながら、目を開けようとした時。
『あんまり、無茶をするなよ』
 心配そうな、それでいて困っているような声が聞こえて、司は動きを止めた。
(竜二?)
 今やすっかり目は覚めているが、何となくタイミングを逃したために眠ったフリをする。
 竜二の真剣な声に言葉が見つからなかったせいもある。
(……どうしよう)
 いつまでも寝ているフリはできそうにない。
「んん〜〜…」
 それらしい声を上げつつ、それとなく竜二に背を向けようとする。あんまり顔を見られて狸寝入りがバレても気まずい。
――が。  その行動はあっさり竜二に妨害された。
 結局竜二の方を向かされた司が、内心どうしようかと焦っているときだった。
 衝撃。
 そう思えるほど突然のキスに、声を出すことも忘れた。
 一度重なった竜二の唇はすぐに離れ、安堵とも不満ともつかない感情がせめぎあう。
 しかし数瞬後。
 角度を変えて再び唇が押し当てられた。そこから竜二の舌が縦横無尽に司の口内を行き来する。
(ちょ……まっ……っっっ!!)
 こんな状態で、起きていることが竜二に知れるのは司としては非常に恥ずかしい。
 しかし、声を出したくとも口は竜二に塞がれ、息をするので精一杯という状態だ。
 司の心境など知る由もない竜二の口付けは、落ちた深みに嵌るように、ますます熱を帯びていった。
 さすがの司もだんだんと苦しくなり、寝ているフリはおろか呼吸すらも危うくなってきたとき、キスはぴたりと止んだ。
(あ……)
 思わず不満の声を出しそうになった自分に司は驚いた。
 最初は苦しいと思っていたはずなのに、いつのまにか何も考えられなくなり、夢中で竜二のキスを受け止めていたことが信じられなかった。
 キス一つで思考を奪うとは、なんて恐ろしい。
 場違いな感想を抱きつつ、しかし、やっと竜二から解放されたことに多少の安堵も感じつつ、司は寝たふりを続けた。
「次はどうなるか知らねえぞ」
 ベッドから離れる前に耳元で囁かれた言葉に、背筋がぞくりとした。
 その感覚に名前をつけるとしたら、きっと「期待」あるいは「歓喜」だ。
(脅迫めいた言葉に喜んでどうする、俺…!!)
 思わず自分に突っ込みつつ、浴室へと向かったらしい竜二の足音が遠ざかったのを見計らって、司はむくりと起き上がった。


 唇に指を当てる。
 なんとなく、さっきのキスには竜二の気持ちや言葉が何もかも詰まっていたような気がした。
「俺はここにいるぜ、竜二」
 常に隣に。
 戦いの中で、日常の中で。
 それは誓いだ。
 願わくば、竜二に少しでも穏やかな時間が流れますように。



 待っている間に再び眠りに落ちてしまった司は、今度は広く暖かい腕に抱かれて眠る夢を見た。
 平和な夢に出てきた竜二は、珍しく気の抜けた微笑を湛えていて、何だか妙に可笑しくなった。





司坊視点で書いてみたり。……あんまり変わらない…?

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