華五題
1. 咲く花は思い止まれず
「いけー司!!」
「そこだ、抜け!!」
興奮に彩られた声援が体育館中を飛び交っている。
授業中とは思えない盛り上がりを作っているのは、怪物級の運動能力をもつ司だ。
味方からバスケットボールを受け取った司はふっと目を細め、次の瞬間には疾風のごとく人波をすり抜け、あっという間にディフェンスを二人置き去りにした。
再び大歓声。
しかし、相手方も然るものだ。
シュートはさせまいとさらに二人が司をマークする。
両サイドからプレッシャーをかけられた司は視線も投げることなくすかさず隣に走ってきたチームメイトにパスをよこした。
「おぉ、うまい!! しっかし、なんてパスだ……」
完全に観客にまわって試合を見ていた浅羽椿が思わず呟いた。
その間にも試合はめまぐるしく動く。
司からボールを受け取った少年はそのままシュート体勢へと入り、綺麗なフォームでボールを放った。
一瞬皆が息を呑む中で、ただ一人司が走る。
寸前でブロックに入った敵方の指先に、ボールが当たっていたことをそのすばらしい動体視力で看破していた司は、電光石火の速さでゴール下へと詰め寄るとバネのような動きでその身を空中に躍らせた。
そして、ゴールポストに弾かれたボールをそのまま力ずくでゴールど真ん中へと叩き込んだのだ。
その瞬間、体育館中の歓声が巨大な渦となって湧き上がった。
「……もはや中学生の動きじゃないだろう」
いやむしろ人の動きを超えている、と一人冷静なツッコミを入れる椿は、ふと何かに気づいたように、さきほどからずっと黙って隣で試合経過を見つめている白神竜二をちらりと横目で盗み見て、思わず片頬をひきつらせた。
(な、なんか機嫌悪くないか……?)
竜二は眉間に深い皺を寄せ、睨むように司の活躍を凝視していた。
(そんなおっそろしい顔してんなよな。たかが体育の授業だろうに……)
そんな感想が浮かぶが、椿とてわが身はかわいい。決して口に出さないだけの分別くらいは持っていた。
「――まったく。あいつは」
どこかなげやりに、あきらめたように竜二が呟いた。
それに対し、椿が独り納得したように相槌を打った。
「司のやつ、相変わらずすげー運動神経してるよな。あれじゃどうやっても司のいるチームには勝てねえよ」
「……だが他の奴らもあいつ一人を激しくマークしすぎだろう」
ほとんど独り言のつもりだった言葉に、珍しく竜二が(実に不満そうに)応えたので、椿は内心おやっと思った。
「でも、それは仕方ないんじゃないのか? つっても、司は三人や四人は簡単に抜くからなぁ。相手のほうが大変だと思うぜ」
「簡単に抜くから、余計にいろんな奴が寄ってくるんじゃねぇか」
竜二の顔はますます渋面になっている。
(おいおい。言葉尻だけつかまえりゃ、それ、彼女にヘンな虫が付くのを心配する彼氏の台詞なんじゃ……)
司が女だという事実を知らない椿の独白は、実は正鵠を射ていた。
そのことに本人は気づかぬまま、彼はそのまま思ったことを口にする。
「お、試合終わったみたいだな。やっぱり司のチームの圧勝か」
竜二からの相槌はない。別に期待していたわけでもないので椿は独り言のように続けた。
「なんか動き回った後の司って、いい顔するというか……妙に色っぽい顔するよな〜」
ひくり、と竜二の片眉が上がったが、前を向いている椿の視界には入らない。
遠くで、司が前髪を掻き分けながら汗を振り払うように軽く頭を振りつつ上を向くのが見えた。
その形のいい唇から短い息が吐き出される。
どこか気だるげなその表情が見るものをひどく落ち着かなくさせる。
思わず竜二の目が惹き付けられたとき、隣で椿の声がした。
「あ、ほら。あの表情とか。あいつ、最近変に雰囲気出すからこっちもびっくりするんだよな」
「――それはつまり、お前が司に見惚れているということか?」
地を這うような声に、椿は瞬間冷凍される気分を味わった。
今は確か夏のはず。それなのにこの冷気はどうしたことか。
「いや……いやいやいや。誤解するなよ! 俺は白神と張り合う気なんかこれっぽっちもないからな!」
ぶんぶんと首を振り手を振り、後ずさりながらなんとか竜二の凍える視線からの脱却を図る。
実はときどき司を見て心臓がどきどきと不整脈を起こしかけるなどとは決していえない椿だった。
必要以上の否定は、聞いている相手の目にも不審に映るが、幸いこのときは竜二は深く追求することはなかった。
――確かに、最近司は女っぽくなってきている。
その点は竜二にも心当たりがあった。
ふとしたときに、司から眼が離せなくなることがある。
なんのことはない。竜二や椿ばかりでなく、ある瞬間に司に見惚れてしまって我に返る男子生徒の数は少なくないのだ。
竜二にとっては不愉快極まりない事実であるが。
司のチームが別の相手と試合をやり始めた。
それを眺めながら竜二は思う。
司の動きは無駄がなく、どんなに人混みに紛れていても人目を惹かずにはおられないほどしなやかで美しい。
そもそも動きが違うのだ。その超人的な運動能力のおかげで、男に混じって激しいスポーツに身を投じても力負けしないどころか相手を圧倒してしまう。
だがそれが竜二の不満の種となることを司は知らない。
いつも司しか目に入っていない竜二に言わせれば、身体の線はやはり同世代の男子に比べると細いし、力も多少は劣る。
しかも並以上に様々なスポーツをこなしてしまうがために、司には『弊害』として毎度例外なく激しいマークがつけられる。
司の身体に密着し、力でぐいぐい押してくるタイプなど、竜二にしてみれば抹殺対象以外の何者でもない。
さすがに本当に殺ってしまおうとまでは思わないが、軽く地獄の入り口くらいは見せてもいいのではないかと思う。
(あの男、さっきも司を触りまくってた奴じゃねえか。おいおい、あいつ密着しすぎだろう。ちょっとまて司、もしやそのまま突っ切る気か!)
等々、たとえ無表情であっても竜二の内心の怒声は尽きない(たかが体育の授業とあなどるなかれ)。
まったく表情を変えない竜二から、そんな心の声を読み取れるのは渋谷くらいのものなのだが。
それでも、活き活きと楽しそうに動いている司を見ていると結局竜二は何も言えないのだ。
――まったく、あいつは。
今の竜二にはそれしか言えない。
騒々しい歓声の真っ只中にいる司は、己の魅力に無頓着すぎる。
歓声のほとんどは純粋に司の働きに対する称賛と驚愕の声だが、よくよく観察すれば司に微笑みかけられた男子生徒が頬を赤らめたり、別の生徒が無駄につかさとスキンシップをとりたがったりしているではないか。
いっそのこと男装などやめてしまえという声と、そんなことをしたらますます男が寄ってくるようになるという別の声が竜二の心の中でせめぎ合う。
司が女っぽくなることは大歓迎だが、それによりいらぬ虫まで寄ってくるのは論外だ。
彼の苦悩と心労は決してなくなることはない。
やはりここは牽制と威嚇が大事だ、と真剣に考える竜二は、いつにも増して恐ろしい顔をしていたという……。
竜二と司のスクールライフ……を書こうかなと思いつき、こんな感じに。微妙?
しかも続くし。
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