華五題
3. 花嵐と君去りしのち
終業のチャイムが校内に響き渡った。
それまではどれほど眠くとも、またどれほどやる気を失くしていようとも、この音を聞けば途端に元気が出るのはどこの生徒も変わらない。
真面目に授業を最後まで受けていた司は、放課後になって一気に活気を増したクラスの喧騒を聞きながら、蒸し暑さを覚えて窓際へと近寄った。
窓が締め切られた室内は空気が沈殿しているようで、そこに人の熱気が加わってなんとも言えない暑苦しさをかもし出している。
「は〜ぁ〜、いい風だぁ〜」
窓から入ってくる涼しい風を額で受けながら、とろんとした目で司は呟く。
目を瞑ってしばしこの快適な風で暑さをしのごうとした矢先。
不意に、ひんやりとした大きな手の平で額と両目を塞がれた。
「!?」
「お前、熱あるんじゃねえのか?」
低いがよく通るその声は、司の耳には他の何よりも心地よい。
竜二が背後にいるのを良いことに、司は口元をにへらっと緩ませた。
「……何を笑ってるんだ」
いぶかしむ竜二の声には少しだけ司を案じる気配がある。
そんなことまでわかってしまうくらい、司は竜二の機微には聡い。
「いやいや、気にするなって。竜二の手が気持ちよかっただけだし」
「ほぉ」
「……なんだよ……?」
「いや、お前もずいぶん大胆なことを言うようになったと思ってな」
「はぁ!?」
「俺の手だけじゃ物足りないのなら、いつでも満足させてやるぞ?」
最後の言葉だけ耳元でそっと囁かれた。
妙に色っぽいその言い方に、司は反射的に飛び退こうとして……額と両目を後ろから竜二の手で塞がれていたことに気づく。
それはすなわち、頭を竜二に押さえられているということで、司がいくらその場を脱したくとも抜けられない状況であることは明白だった。
「〜〜っ、〜〜っ……!」
微妙にパニック気味の司を楽しげに眺める竜二の顔は、実は信じられないくらいに優しい。
残念ながら、教室に背を向けている格好なので、他の生徒にはその表情は見えなかったが。
何となく事情の分かっている生徒(例えば椿あたり)が見れば、どこから見ても甘々なじゃれ合いをしているようにしか見えないが、如何せん、そんな事情など知らぬ生徒たちには 竜二が司を脅しているように見えなくもない。
相手が司だから別に大したことはないと判断しているということは、同じクラスの生徒たちの暗黙の了解だった。
ともあれ。
だいぶ慣れてきたとはいえ、司は本来甘いじゃれあいなどというものに免疫がない。
一度恥ずかしいと思ってしまえば、もはや居たたまれないくらいに真っ赤になる。
ついでに言えば、竜二が妙な色気を出すせいで、体育館裏での昼間の出来事まで思い出してしまった。
冷たい手の平。
熱い息遣い。
――まだ残る、唇の感触。
(わーわーわーーーー!! 何を考えているんだ俺は!)
己の想像によってますます混乱してきた司は、とにかくその場を逃げ出すことを選んだ。
「お、俺は先に帰るからな!」
そう言い残して、無理矢理竜二の腕から脱出した司は矢のように走り去って行った。
昼間とまったく同じ展開に、竜二は不満半分、おかしさ半分で、自分の腕の中からいとも簡単に抜け出した存在を想ってひとつ息を吐いた。
そんな竜二の髪を、窓から入り込んだ少し強い風が攫っていく。
――あいつは、閉じこめようと思ってもいつの間にかするりと抜け出す。
もちろん、竜二が本気になれば、抜け出させなくすることなど容易いが。
もしもあの大きな瞳で、上目遣いでおねだりなんかされてしまえば、竜二に抗う術など無きに等しい。
竜二の言葉や仕草の一つひとつにいちいち反応する初々しさを持ちながら、決して自らを縛らせない司は、ちょっと小悪魔的なんじゃないかと 竜二は密かに思っていたりする。
(まあ、最後に俺のところに帰ってくるからかまわないんだが)
もし口に出せば盛大な惚気になるであろう言葉をさらりと脳裏に浮かばせる竜二はさすがに余裕だ。
そして無言のまま、教室を出て帰路に着いた。
司のいなくなった場所に用はないのだ。
さて、本当に今夜は楽しみだ。
放課後の廊下は人であふれていたが、その日、ニヤリと不敵に笑う竜二の歩む先には、自然と道が出来ていたという。
竜二は司のことに関しては意外と素直に顔に出ると思うんですが、周りの解釈はまったく別なんですよねぇ(笑)
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