攻め気味な20のお題
「〜〜♪♪♪」
機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえる。
水の流れる音。食器の鳴る音。
コーヒー片手に視線を向けるとキッチンに立つ少女の後ろ髪がふわふわと揺れているのが目に入った。
――音を立てずに、忍び寄る。
4. 追い詰めた距離
「……ちょっと、何してるの……?」
不審も露わに顔だけで振り返った朝来に、宗像は愉しげに応えてやった。
「いや、相変わらず触り心地がいいと思ってな」
宗像は朝来の髪を一房すくい取り、その感触を確かめるように唇を押し当てた。
密着。
背中と頭に宗像の胸が当たるほど近距離まで迫られて、朝来は内心の動揺を悟られまいと口を開く。
「……邪魔するならあっち行っててよね」
わざと刺々しく言い放った。もちろん照れ隠しである。
(おお、真っ赤になってる、なってる)
照れる朝来を実に満足げに観察する宗像は、やはり人が悪い。
少々大きめの、シンプルな黒いエプロン姿の朝来を背後からまじまじと見つめる。
非常に居心地の悪い思いをしている朝来がとうとう文句を言おうとしたその時。
「ひゃあっ!!」
可愛らしい悲鳴が響き渡った。
「ちょ、やめっ……くすぐったいってば!!」
突然宗像が朝来の脇やらウエストやらに両手を這わせたのだ。
朝来は食器を洗うので両手が塞がり、怒ろうにもくすぐったくて笑い声しかでないため、必死で身をよじるという行為で宗像から逃れようとする 。
そんな動きがますます宗像を楽しませていることにも気づかずに。
宗像は朝来のウエストのちょうどくびれ部分に手を置いたかと思うと、今度はおもむろにひょいと朝来を持ち上げた。
宙に浮いていたのはほんの一瞬だったが、突然床の感触が消えた朝来は再び悲鳴を洩らした。
「相変わらず、細いし軽いな」
人の両手が塞がっているときに散々撫で回し、持ち上げた末の感想がこれである。
一体何がしたいのか朝来にはさっぱりわからない。
「あんたのせいでちっとも片付けが進まないじゃないの!! 邪魔だから早く向こうに行ってて!!」
とにかく、このままじゃ私の心臓がもたない、という内心は押し隠し、朝来はきつく文句を言った。
まるで年末大掃除中の役に立たないお父さん扱いだったが、言われた本人はまったく気にした様子がない。
軽く肩をすくめた後、背後から不意打ちのように朝来の耳朶を甘噛みした。
「きゃっ!!」
可愛らしい悲鳴は何度聞いてもいいもんだ。
そんな不届きな感想を抱く、まったく懲りない男は、朝来が再度睨んでようやくリビングの方へと戻っていった。
朝来は食器を洗い終えると、自分用に紅茶を入れた。
どこにでも売っているようなアールグレイの葉を陶器のティーポットに入れ、空気が入るように高めの位置からお湯を注ぐ。
約三分間蒸らしている間に、ティーカップを探す。
本当はあらかじめポットとカップをお湯で温めておく方がいいのだが、そこまで手間をかけるのはわずらわしかった。
「あれ?」
朝来は小さく独り言を零した。
いつもの棚を探したが、カップが見つからなかったのだ。
きょろきょろと辺りを見渡すが、それらしいものはない。
そんな朝来に気づいた宗像が、遠くから声をかけてきた。
「もしかしてカップか? それなら食器棚の一番上だ」
どうしてそんなところに置くのよ! と文句を言いたいのは山々だったが、よく考えるとここは宗像の部屋だ。
どこに置こうとあの男の勝手である。
気を取り直して、高い位置にあるティーカップを取るために朝来は手を伸ばした。
宗像は悩んでいた。
カップと取ろうと背伸びして爪先立ちになっている朝来の代わりにカップを取ってやるべきか。
それとも、ちょっとぷるぷる震えているその細い身体を抱きしめたいという欲望を満たすべきか。
考えた末、朝来の背後に立った宗像は三つ目の選択肢を選んだ。
「ほれ」
そういって、朝来の身体を抱き上げてカップに手が届くようにしてやった。
朝来の手助けをしながら、自らの欲求も満たす。これぞ一石二鳥。
朝来はそんなことは露知らず、またしても突然抱き上げられた驚きと、まるで親が子どもにするような仕草への多少の不満の籠もった声で、小さく「あ、ありがと」と礼を言った。
「…………あの、もうカップ取れたわよ?」
しばらくしてもなぜか抱き上げたまま降ろそうとしない宗像に、朝来が不審の目を向ける。
ニヤリと笑うその顔に、ひくっと朝来の頬が引き攣った。
「礼はキスでいいぜ」
(……やっぱり)
予想通りの言葉に、朝来ががっくりと肩を落とす。
しかしすぐにきっと睨みつけて怒鳴った。
こういうときは勢いが肝心だ。流されてはいけない。
「馬鹿なこと言ってないで、早く降ろして!!」
「あんまり動くとカップ落とすぞ」
「あんたがさっさと私を降ろせば済むことでしょう!!」
ぷりぷりと怒る朝来に、宗像はやれやれと肩をすくめた。
そんな宗像の様子を了承の意で解釈し、ほっと息をついて気を抜いたのがまずかった。
むしろわざと油断させるような態度を取らせた宗像は、その瞬間を見逃さない。
ちゅっ。
朝来を抱きかかえたまま、そののこめかみへ音を立ててキスをした。
「残念」
耳元に息がかかるくらいの距離から低く囁き、朝来を降ろしてやる。
その時にはもう、朝来が沸騰寸前くらいに真っ赤になり、冷静な判断が下せなくなっているのは予想通り、否、予定通り。
今朝の朝来の『迷惑』発言撤回(と宗像は思っている)がなくても、やはり彼は遠慮などしなかったのではないだろうか。
そんな考えが朝来の脳裏をよぎる。
そんな、朝の一コマ。
撫で回される朝来(笑)
宗像よ、それはセクハラだ。
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